2007年9月 4日

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ご開帳には、居開帳と出開帳の2つがあります。

居開帳とは、その神仏を所持する寺社で開帳するもの。出開帳は、地代を支払い、他のお寺の境内で開帳するものです。境内を貸したお寺を、宿寺(やどてら)と呼んでいました。

居開帳のうち、年中行事として行われるものは寺社奉行の許可は不要でしたが、特別な理由を付けて開帳するものは、その許可が必要でした。前回取り上げた、浅草寺での本尊出現1150年目を記念した御開帳などが、それに該当します。出開帳の場合は、いずれにせよ寺社奉行の許可が必要でした。

さて、一口に開帳と言っても、いろいろなパターンがありました。浅草寺(居開帳)の場合を見てみましょう。

ご開帳は、通例33年に1度の間隔でおこなうものとされていました。これを、順年開帳と呼びます。

となると、浅草寺のご本尊の開帳は33年に1回のはずでしたが、実際の頻度はそれ以上でした。何故かと言うと、何かと理由を付けて、御開帳の許可を取っていたのです。江戸260年程を通して、30数回も開帳したと伝えられています。33年どころか、10年も経過しないうちに開帳している計算になります。

例えば、本堂の再建や大修復の落成を記念して、ご開帳が許可されています。これを落成開帳と呼びますが、修復費に充てるという目論見もあったのではないでしょうか。

本堂の修復費を得るため、ご開帳を願い出て許可される事例もありました。これは助成開帳ですが、その収益の使途は落成開帳とあまり変わらなかったかも知れません。

縁起開帳もあります。ご本尊が出現して1150年目を記念した開帳などがあてはまります。そうした縁起を記念して企画されたのです。

将軍が浅草寺を訪れて参拝することもありましたが、その際、浅草寺では将軍のために、特別に本尊を開帳します。その後、将軍からの恩恵という形で、一般に開帳することがありました。お寺の側から申請して許可されるのですが、これを御成跡(おなりあと)開帳と呼びます。時代劇でお馴染みの、「上様御成」というフレーズがありますが、上様つまり将軍様の御成を理由に、開帳の許可を取り付けたのです。

将軍様関係で言うと、祈願開帳というものもあります。将軍様に御世継ぎの誕生などの慶事があった時、そのお祝いとしてご開帳を願い出るのでした。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
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