開帳の回数は、春夏秋冬の季節ごと、5つ以内と決められていました。江戸では年間20件に制限されていましたが、江戸のお寺が年中行事としていた開帳は対象外でした。ですから、江戸の場合、20回しか、ご開帳があったのではありません。それどころか、その数を遥かに越えた開帳数でした。毎週、もしかしたら毎日のように、江戸のどこかでご開帳は行われていたのかも知れません。
そもそも、江戸の町にはどれくらい、お寺があったのでしょうか。
正確なところは分からないのですが、全国で見ると、95万9042ケ寺という数字があります。これは、文化12年(1815)の数字ですが、日本の総人口は3000万人と言いますから、およそ30人に1つのお寺という計算になります。
少し多過ぎるような気もしますし、一口にお寺と言っても、その格差はたいへん激しいのですが、江戸時代のお寺の数が、数十万のレベルであったことは間違いないでしょう。現在、お寺の数は7万以上。コンビニの数より多いと喩えられますが、江戸のお寺の数はその10倍以上あったのです。明治に入ると、廃寺や合併などで、その数が激減してしまうことになります。
そして、江戸の町についてみれば、お寺の数は数千、もしかしたら1万を越えていたかもしれません。もちろん、ご開帳しないお寺もあったでしょうが、単純計算で言えば、毎日江戸のどこかでご開帳していたと言っても、決して言い過ぎではないのです。
江戸が日本で一番、お寺の数が多く、お坊さんがあふれていた町であったことは間違いありません。江戸は人口百万人以上を抱える日本最大の都市でしたが、お寺やお坊さんにとっては、競争相手も多い、日本で一番激しいマーケットと言えるのではないでしょうか。
浅草寺などは、境内に169の神仏が祀られているということですが、これらの神仏にも縁日があり、ご開帳もあったことでしょう。しかし、ご本尊が出現して1150年目などという区切りに、臨時に御開帳を企画する時は、浅草寺挙げての行事となります。
何十年に一度というイベントですから、年中行事のご開帳よりも、参詣者のアップが当然期待できます。お寺の側はこのチャンスを活かして収益を挙げようと、必死に知恵を絞ることになります。しかし、見方を変えると、その臨時収入がないと、堂社などハード面の整備は、自力では到底不可能だったとも言えるのです。