2007年9月 4日

開帳の回数は、春夏秋冬の季節ごと、5つ以内と決められていました。江戸では年間20件に制限されていましたが、江戸のお寺が年中行事としていた開帳は対象外でした。ですから、江戸の場合、20回しか、ご開帳があったのではありません。それどころか、その数を遥かに越えた開帳数でした。毎週、もしかしたら毎日のように、江戸のどこかでご開帳は行われていたのかも知れません。

そもそも、江戸の町にはどれくらい、お寺があったのでしょうか。

正確なところは分からないのですが、全国で見ると、95万9042ケ寺という数字があります。これは、文化12年(1815)の数字ですが、日本の総人口は3000万人と言いますから、およそ30人に1つのお寺という計算になります。

少し多過ぎるような気もしますし、一口にお寺と言っても、その格差はたいへん激しいのですが、江戸時代のお寺の数が、数十万のレベルであったことは間違いないでしょう。現在、お寺の数は7万以上。コンビニの数より多いと喩えられますが、江戸のお寺の数はその10倍以上あったのです。明治に入ると、廃寺や合併などで、その数が激減してしまうことになります。

そして、江戸の町についてみれば、お寺の数は数千、もしかしたら1万を越えていたかもしれません。もちろん、ご開帳しないお寺もあったでしょうが、単純計算で言えば、毎日江戸のどこかでご開帳していたと言っても、決して言い過ぎではないのです。

江戸が日本で一番、お寺の数が多く、お坊さんがあふれていた町であったことは間違いありません。江戸は人口百万人以上を抱える日本最大の都市でしたが、お寺やお坊さんにとっては、競争相手も多い、日本で一番激しいマーケットと言えるのではないでしょうか。

浅草寺などは、境内に169の神仏が祀られているということですが、これらの神仏にも縁日があり、ご開帳もあったことでしょう。しかし、ご本尊が出現して1150年目などという区切りに、臨時に御開帳を企画する時は、浅草寺挙げての行事となります。

何十年に一度というイベントですから、年中行事のご開帳よりも、参詣者のアップが当然期待できます。お寺の側はこのチャンスを活かして収益を挙げようと、必死に知恵を絞ることになります。しかし、見方を変えると、その臨時収入がないと、堂社などハード面の整備は、自力では到底不可能だったとも言えるのです。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
→ブログに登場する江戸名所の地図
安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
→著者公式サイト
→著者ブログ「江戸探訪記」
→著者ブログ「大江戸グルメ日記」
加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト