2007年9月25日

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成田山の江戸出開帳は、元禄16年を初回として、都合10回おこなわれました。一口に出開帳と言っても、その準備は大変なのですが、記録が豊富に残っている今から200年前の文化3年(1806)の事例から、その舞台裏を覗いてみましょう。

江戸で本尊を開帳すると言っても、勝手にはできませんでした。幕府の寺社奉行様の許可が必要でしたが、成田山のように地方のお寺の場合は、ご領主様(下総佐倉藩主堀田家)の許可も必要でした。

江戸出開帳は、文化3年3月1日から正味2ケ月間、深川永代寺で執り行われました。この企画が表に出てきたのは、前年の6月15日のことですが、この日、成田村の村役人たちに、来年江戸で開帳したいと打診したのです。なぜ、成田村に事前に打診する必要があったのでしょうか。

 成田不動が江戸に向かう時、かなり大がかりな行列が組まれます。大名行列のようなものですが、その時、成田村の村民たちに行列に加わってもらうわけです。2ケ月間にわたる開帳中、開帳小屋の警備やら何やらで、人出が必要なのですが、そのまま村民は江戸に滞在し、警備役も勤めるのです。

そもそも、成田山が江戸で開帳したいとお殿様に願う時には、成田山のある成田村の承認が必要でした。このため、最初に成田村に話を通しておく必要があったのです。他のお寺の場合も、江戸出開帳の時には、鎮座している町や村などの地方自治体の承認そして協力が必要という事情は同じでした。

ですから、この6月15日に村役人に集まってもらい、食事を出しながら、来年の開帳への協力を依頼したのです。もちろん、その数年前から成田山内部では江戸出開帳が検討されていたことでしょうが、この日、外部に向けて、来年の開帳計画を公表したのです。無事、成田村の承認は得られ、成田山は開帳の準備を進めていくことになります。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト