2007年9月18日

成田山が江戸で最初にご開帳をしたのは、元禄16年(1702)のことです。既に成田山は、前年の元禄15年(1701)に、本堂落慶記念として地元で居開帳を執り行っていました。

本堂の建立には巨額の費用を要しました。その建立費も借財が嵩んだ大きな理由でした。成田山は居開帳で得られた浄財を、その補填に当てたのですが、とても足りませんでした。ここに至り、江戸という巨大マーケットでの開帳が企画されたわけです。

この元禄期は開帳ブームが起きていた時期です。元禄と言うとバブルの時代ですが、そうした経済情勢とお寺の経営戦略は大いに関係しています。お寺としては好景気に沸く江戸のマーケットに目を付け、イベントを企画し、収益を挙げようと狙ったのです。その一つが、成田山なのでした。

深川の永代寺に本尊の不動明王を安置し、元禄16年4月27日から2ケ月間、江戸出開帳をおこないましたが、成田山は予想を上回る収益を挙げることができました。2000両以上の収入となり、借財をきれいに返済したばかりか、鐘楼などの建立費も充分に出たと言います。

大成功を収めた理由は、主に2つ挙げられます。1つは、将軍様やお殿様たちの奥方の支持を獲得できたことです。大奥の力は絶大でした。以後、成田山の強力な支持母体となっていきます。

出開帳が終わった後ですが、不動明王は江戸城に入り、桂昌院の礼拝を受けるという栄誉に浴しました。この事実は、成田山の知名度アップに大きくプラスとなります。

もう1つは、「成田屋!」で知られる江戸歌舞伎の代表格市川團十郎のバックアップを受けたことです。團十郎は、成田山の不動明王つまり成田不動を厚く信仰していました。

歌舞伎の舞台とは、流行の発信源であり、今で言えばテレビやネットに匹敵するメディアでした。役者は、流行の最先端を行く人気タレント、人気キャラクターでした。團十郎と言えば歌舞伎役者の代名詞のような存在ですが、その團十郎が、開帳中、歌舞伎の舞台で成田不動を演じたのです。成田山の知名度アップに、はかり知れない効果をもたらしたことは言うまでもありません。この後も、成田山が江戸出開帳するたびに、團十郎は成田不動を演じ続けます。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
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