2007年9月18日

現在、初詣の人出ベスト3は、明治神宮成田山新勝寺川崎大師の順番で不動です。明治神宮は、大正9年(1920)に誕生した神社なので事情は違いますが、成田山と川崎大師がベスト3に入っているのは、江戸の巨大マーケットのお陰でした。江戸での営業活動が、現在の地位をもたらしたのです。特に成田山は、江戸出開帳の大成功が寺勢拡大の大きなきっかけとなりました

成田山に参詣するには、鉄道ならばJRと京成電鉄を使うことになります。東京と成田を結ぶ京成本線と言うと、成田空港へのアクセスというイメージが強いわけですが、元々は成田山への参詣者をターゲットにして敷設された鉄道でした。成田山に限らず、東京近郊の有力寺社は、東京から放射状に広がる鉄道の終点などに位置しています。と言うより、参詣者をターゲットにして鉄道が敷かれ、門前に駅が作られたのです。

東京と八王子を結ぶ京王線に、高尾山口という駅があります。東京から高尾山薬王院に参詣する人たちをターゲットにした駅です。東京と小田原を結ぶ小田急線に、伊勢原という駅があります。この駅も、東京から大山不動(大山阿夫利神社)に参詣する人たちをターゲットにした駅でした。そのほか、集客力あるお寺の門前に置かれた駅は数知れずあります。

成田駅を降りると、すぐ参道が広がっている成田山ですが、意外にも、元禄時代以前は全国区のお寺ではありませんでした。もちろん、成田地域の人々の厚い信仰を集めてはいましたが、百万都市江戸での知名度はほとんどなかったと言って良いでしょう。ですから、成田山がご開帳というイベントを江戸で打つのは大きな賭けでした。

当時、成田山は500両にも及ぶ借財を抱えていました。1両というのは現在で言うと、10万円ぐらいですから、単純計算して5000万円くらいの借財があったことになります。これから見ていきますように、一口に江戸で開帳と言っても、準備だけでも多額の費用が掛かります。その費用を超える収益をあげなければいけません。ですから、この賭けに失敗すると、大変なことになってしまうわけですが、凶ではなく大吉と出たのです。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト