2007年8月28日

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幕府がご開帳を許可制にしたのは、群集への恐怖心が理由でしょう。相撲などのイベントを許可制にしたのと同じ理由なのですが、江戸の場合、この種のイベントを全くの自由にしてしまうと、人の動きをコントロールできなくなる恐れが濃厚でした。

江戸は何と言っても百万都市ですから、瞬く間に何万という人数が集まって来ても不思議ではありません。その群集の力が、江戸の治安を乱して、無政府状態のような想定外の事態を引き起こすことも充分有り得ます。そのため、ご開帳のような宗教的なイベントであっても、自己の統制下に置いて都市秩序の安定をはかったのです。

さて、開帳は寺社奉行たちの評議で決まりましたが、ご開帳を願う理由は何でしょう。

開帳の願書は、たくさん残っています。それを読んでみると、修復費の助成を理由に挙げているものが大半で、本来の目的である結縁を理由に挙げている事例は僅かしかありません。

開帳で得られた収益ですが、修復費に全部回したかどうかは分かりません。もちろん、開帳で期待した程の収益が上がらなかった事例も多かったようですが、成田山新勝寺などは、江戸での最初の開帳で得られた収益を、借財の返済に充てています。余剰金も出たため、鐘楼の建立費にも充てていました。

そもそも、ご開帳は宗教的な行事なのですから、財政難とか臨時収入を得たいとか願い出たとしても、認められるはずはなかったでしょう。堂社の修復を理由に挙げているので認められるわけですし、だからこそ、お寺の側も修復費の助成を、その理由として掲げるわけです。

結局、その辺りの本当の事情は当のお寺しか分からないわけですが、願書に書かれている理由を、額面通り受け取ることはできないかも知れません。何かと理由を付けて、開帳を願い出ていることから見て、お寺にとっては、修復費もさることながら、臨時収入が期待できる貴重なチャンスとして捉えていたのでしょう。全部のお寺がそうだったとは言えないのですが、修復費の捻出は建前で、本音は違うというお寺もあったようです。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト