2007年8月28日

お寺が堂社を建設・修復したい場合、幕府の費用で修復してもらえれば、言うことはありませんでした。しかし、その恩恵に預かれるのは将軍のお墓がある寛永寺増上寺クラスのお寺だけでした。

幕府費用による修復をAランクとすると、次のBランクは、修復費の助成として、相当の金品を給付されたり、拝借金を受けることでした。勧化を許可され、その集金額を修復に充てることは、Cランクということになります。

こうした助成のランクは、幕府がお金を出す以上、将軍様との距離で決められました。将軍との由緒が深ければ深いほど、ランクが上がるわけです。言い換えると、格式の非常に高いお寺ですから、この枠に入れるお寺は、ほんの一部に過ぎませんでした。

大半のお寺は、幕府の費用による修復などは夢のまた夢で、自力で修復費を集めなければなりません。そこで、ご開帳という行事が注目されたのです。勧化の成績が悪かったお寺が、開帳で補填しようという事例もありますが、大抵のお寺は、開帳という唯一残されたツールを通して、修復費を集めようとするのです。

ご開帳とは、秘仏として通常は参拝を許さない仏像を、期間限定で結縁の機会を与える行事のことです。元々は宗教的な行事だったわけですが、次第に開帳の際に奉納される金品やお賽銭を目当てに行われる行事に変わっていきました。その点、勧化や勧進と同じ経緯をたどった行事です。

現在も、ご開帳は広く行われている行事ですが、江戸時代は、幕府など支配者の許可が一々必要でした。勝手に、ご開帳するわけにはいかなかったのです。幕府の許可を得て、修復の助成手段としたわけですが、ご開帳は勧化に比べれば、はるかに自力で集金しなければいけませんから、勧化より下のDランクの助成ということになるでしょう。

江戸の町でご開帳を企画する場合は、寺社奉行の許可を得なければなりません。江戸の町と言うと、江戸町奉行が支配しているというイメージがありますが、江戸の町の約7割は武士が支配する武家地で、町奉行の管轄区域ではありません。

残りの3割は、町人地と寺社地がほぼ等分に分け合っていましたが、町人地は町奉行の支配地、寺社地は寺社奉行の支配地のことです。ですから、江戸町奉行は、土地の広さで言うと、江戸の15%しか支配していなかった計算になります。同じく江戸の15%を占める寺社地で行われる行事は、支配下に置く寺社奉行の管轄下にありますので、ご開帳はその許可が必要ということになるのです。

ただし、ご開帳と言っても、毎年恒例の行事となっている開帳(1日~数日の規模)には、一々許可は必要ありませんでした。これから具体例を挙げていきますが、臨時に行われる開帳が許可制の対象となっています。地方のお寺がはるばる江戸にやって来て、ご開帳するのは年中行事ではありませんから、幕府の許可が必要ということになるわけです。その期間ですが、60日間という長期にわたるものでした。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
→著者公式サイト
→著者ブログ「江戸探訪記」
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト