2007年8月 7日

幕府の許可を受けた勧化は、御免勧化と呼ばれました。御免勧化とは、どのようにして行われるのでしょうか。

御免勧化には、実際に地域を回って募金活動をおこなうものと、地域を回らずに金品が集まってくるものの2つがあります。前者から見ていきましょう。

勧化の範囲には、全国が対象地域の場合もあれば、江戸だけ、数ケ国だけというパターンもあります。寛保2年(1742)に、奈良の西大寺が伽藍再興を理由に許可された事例を見ると西大寺のある大和国のほか、山城国・摂津国・河内国・和泉国の5ケ国での勧化となっています。現代で言うと、奈良県・京都府(一部)・大阪府の範囲です。その期間は、19ケ月でした。

対象地域と期間は、お寺によって様々です。法則性や基準は残念ながら見い出せません。監督官庁である寺社奉行所の匙加減と言ったところなのでしょう。お寺の工作次第と言えるかも知れません。

幕府の許可を得ているため、対象地域に対して、そのお寺が勧化のため巡行してくる旨が触れられることになっていました。政令が回ってくるようなものでしょう。そこには、以下のような趣旨が書かれていました。

幕府は西大寺に、その伽藍再興のため勧化を許可した。寺社奉行(定員4~5名)が連名で捺印した勧化状を持参し、西大寺が巡行してくる。志のある者たちは、多少に寄らず寄進せよ。その旨を、幕府領の領民にはその代官が、大名領や旗本領の領民には当の大名や旗本から申し渡しなさい。

幕府の命令を受けて、この5ケ国の領主たちが領民に対して、西大寺が巡行してきたら寄進するよう直接指示したわけです。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
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