
勧化に似た言葉に、勧進があります。
勧進という言葉は、人々に仏の道を勧めて善の道に向かわせることですが、一般には、お寺や仏像の建立や修復のため、人々に勧めて寄付を募るという意味でしょう。歌舞伎にも取り上げられている勧進帳とは、その寄付を募る趣旨が書かれた帳面のことです。
勧進も勧化もほとんど同じ意味ですが、勧進の場合はイベントと抱き合わせで使われる言葉のようです。勧進興行というフレーズがありますが、これは勧進のために、能や歌舞伎などの芸能文化が興行されるということです。その収益を修復などの費用に充てようというわけですが、江戸時代の勧進興行と言えば、何と言っても勧進相撲でした。
この時代、相撲はたいへん人気のあるイベントでした。集客力のあるイベントですから、集金力にも当然期待が集まります。あまりにも人気が高まり過ぎて、幕府は街で相撲をするのを禁止したほどでした。町中で人がたくさん集まってきて、いろいろ騒ぎやトラブルが続出したのです。勝負に過熱した余り、喧嘩そして刃傷沙汰も日常茶飯事だったのでしょう。賭け事も盛んだったことでしょう。
しかし、幕府当局としては、こうした江戸の治安の乱れは看過できないものでした。そのため、街で相撲をすることや、ついには勧進相撲も禁止してしまうのです。
しかし、禁止されたこともあって相撲人気はいよいよ高まり、禁令も効果がありませんでした。ここに、幕府は方針を変更して、許可制にします。相撲興行を統制下に置くことで、その取り締まりをはかろうとしたのですが、お寺の側としても、勧進相撲の興行禁止が、経営に大打撃だったことは言うまでもありません。
貞享元年(1684)に、深川で勧進相撲が再興されます。当時、深川は新開地でした。埋め立てを繰り返しながら、街が作られていきましたが、街の活性化のため、相撲の経済効果が期待されたわけです。興行場所は、深川の富岡八幡宮の境内でした。
以後、お寺や神社の境内で相撲が華やかに興行され、江戸の娯楽文化として発展していきます。お寺の側も、この経済効果の恩恵に大きく浴していたのです。