2007年8月 7日

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勧化に似た言葉に、勧進があります。

勧進という言葉は、人々に仏の道を勧めて善の道に向かわせることですが、一般には、お寺や仏像の建立や修復のため、人々に勧めて寄付を募るという意味でしょう。歌舞伎にも取り上げられている勧進帳とは、その寄付を募る趣旨が書かれた帳面のことです。

勧進も勧化もほとんど同じ意味ですが、勧進の場合はイベントと抱き合わせで使われる言葉のようです。勧進興行というフレーズがありますが、これは勧進のために、能や歌舞伎などの芸能文化が興行されるということです。その収益を修復などの費用に充てようというわけですが、江戸時代の勧進興行と言えば、何と言っても勧進相撲でした。

この時代、相撲はたいへん人気のあるイベントでした。集客力のあるイベントですから、集金力にも当然期待が集まります。あまりにも人気が高まり過ぎて、幕府は街で相撲をするのを禁止したほどでした。町中で人がたくさん集まってきて、いろいろ騒ぎやトラブルが続出したのです。勝負に過熱した余り、喧嘩そして刃傷沙汰も日常茶飯事だったのでしょう。賭け事も盛んだったことでしょう。

 しかし、幕府当局としては、こうした江戸の治安の乱れは看過できないものでした。そのため、街で相撲をすることや、ついには勧進相撲も禁止してしまうのです。

しかし、禁止されたこともあって相撲人気はいよいよ高まり、禁令も効果がありませんでした。ここに、幕府は方針を変更して、許可制にします。相撲興行を統制下に置くことで、その取り締まりをはかろうとしたのですが、お寺の側としても、勧進相撲の興行禁止が、経営に大打撃だったことは言うまでもありません。

貞享元年(1684)に、深川で勧進相撲が再興されます。当時、深川は新開地でした。埋め立てを繰り返しながら、街が作られていきましたが、街の活性化のため、相撲の経済効果が期待されたわけです。興行場所は、深川の富岡八幡宮の境内でした。

以後、お寺や神社の境内で相撲が華やかに興行され、江戸の娯楽文化として発展していきます。お寺の側も、この経済効果の恩恵に大きく浴していたのです。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト