2007年7月17日

しかし、ここで一つ大きな問題がありました。お寺側からの求めに応じて大奥から寄進された葵のブランド品が、あまりに多かったのです。

幕府の側から見ると、葵のブランド品が出回り過ぎると、徳川(将軍)ブランドの価値が下がり兼ねません。少ないからこそ、有り難みが出て、将軍様の御威光も保てるのです。寄進だけなら良いのですが、それを次々と公開展示されると、ブランド価値の低下に直結してしまいます。

一方、お寺の側は、大奥との人脈を強化し、葵のブランド品をもっと寄進してもらおうと画策します。公開展示することで、将軍との由緒をさらにアピールし、経営基盤を強化しようとしたわけです。

そこで監督官庁である寺社奉行は、お寺へのブランド品の寄進、その公開展示を制限しようとします。将軍ブランドの価値の低下を防ごうしたのです。

しかし、お寺にとっては、そうした方針はまさに死活問題でした。ブランド品を拝領できず、持っているブランド品を公開展示できないとなると、まさしく宝の持ち腐れでした。投資した資金も回収できず、経営にも大打撃となるのです。むしろ、もっとブランド品を増やして、将軍との由緒をアピールしたいところでした。

そのため、お寺は大奥への工作を強化します。寺社奉行への運動という正攻法では埒があきませんから、大奥から圧力をかけてもらい、規制対象外として、寺社奉行に公開展示を認めさせていくのです。引き続き、寄進も受けることもできました。もちろん、大奥への運動費も掛かったでしょうが、背に腹は変えられませんでした。

お寺の経営は、大奥と強く結び付くことで成り立っていたのです。その裏では、幕府政治の力学が働いていました。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト