2007年7月10日

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お寺としては、大奥を通じて将軍を動かし、参詣してもらうのがベストでした。しかし、将軍は1人ですから、おのづから参詣するお寺は限られてしまいます。超売り手市場ですから、将軍をめぐる争奪戦は激しかったようです。

代参という方法もありました。将軍の代理として参詣することですが、将軍の御台所の代理として参詣する方法もありました。将軍の代参は老中などの閣僚クラスがつとめましたが、御台所の代参は大奥の役目ですし、大奥の判断だけでできました。御台所は将軍の正室ですが、側室の代理としての参詣も可能ですし、将軍の娘の代理として奥女中が参詣して来るという形もありました。

しかし、そうは言っても参詣してもらいたいお寺の数は多いわけですから、超売り手市場であることに変わりはありません。そこで、お寺の多くは将軍の象徴である葵の紋所が入った品の寄進を求めました。将軍その人、家族が参詣してもらうのが難しいので、その分身である葵の紋所を手に入れようとしたわけです。将軍から帰依を受けている証明書の交付を願い出たと言えるでしょう。

葵の紋所入りの品としては、仏事や開帳の時に用いる幕、あるいは戸帳、水引、提灯、袈裟、本尊に着用させる衣服などがあります。お寺の側は、これらの品をどのように活用したのでしょうか。

貴重品として、人に見せなかったのではありません。むしろ、その逆です。

葵の紋所入りの品を拝領するのは、本当に大変なことだったようです。東京のお寺には、葵の紋所が入った品が現在数多く残されています。これらのブランド品は、お寺の営業努力の賜物に他ならないのです。

ですから、大切に保管して外に出さないままでは、苦労して手に入れた将軍の御宝の持ち腐れです。投資した資金は回収し、収益を上げる必要があります。そのため、仏事や開帳といったイベント時に、それらの品を積極的に公開展示し、将軍との由緒を広くアピールしたのです。お寺のメディア戦略の一つです。

実態は、将軍様本人からの寄進ではなく、大奥から寄進されたものでした。将軍の正室・側室、あるいは娘にせよ、将軍の家族なのですから、葵の紋所入り品を寄進することは可能なのです。

ですが、実態はどうあれ、寄進とは信仰の証であることは言うまでもありません。葵の紋所入りの品が展示されていれば、そのお寺が将軍から深い帰依を受けているというイメージを、見る者や聞く者にインプットさせることができます。将軍家御用達というわけではありませんが、ブランド価値もあがりますし、それを売りにして参詣客を集めることができました。差別化のツールとして葵の紋所をフルに活用するイメージ戦略を展開し、経営基盤を強化していったのです。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
→ブログに登場する江戸名所の地図
安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
→著者公式サイト
→著者ブログ「江戸探訪記」
→著者ブログ「大江戸グルメ日記」
加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト