
大奥に入れる者は限られていましたが、例外がありました。それは、お医者さんです。江戸城勤務のお医者さんもサムライでしたが、医者にも階級がありました。
上から、典薬頭(てんやくのかみ)、奥医師、表御番医師と続きます。典薬頭は医師のトップで、大名並みの官位を与えられました。法印に叙せられます。
奥医師というのは、将軍のお脈を取ったり、正室である御台所や側室、奥女中たちの診療をおこなうお医者さんです。「お匙」と呼ばれました。奥医師に任命されると、法眼に叙せられました。
法印や法眼に叙せられるということは、たいへん名誉なことでした。法印や法眼とは僧侶の位のことですが、この時代には僧侶だけでなく、医師、そして仏師や絵師にも与えられるものになっていました。
元々は僧侶に与えられた位ですから、法印や法眼になると、頭を丸めなければなりません。ですから、大奥に入るお医者さんは、剃髪姿ということになります。本物のお坊さんは、奥女中からの厚い信頼を受けていたのですが、さすがに大奥の内部には入れなかったようです。
そのほか、少年ならば大奥に入ることができました。少年と言っても、九才までの男の子だけです。
いずれにしても、大奥はこうした例外を除き、男子禁制の空間でした。そのため、本物のお坊さんが奥女中とコンタクトを持つには、彼女たちに大奥(江戸城)の外に出てもらう必要がありました。お寺参りをしてもらうことで、その信任を勝ち得たのです。
彼女たちが城外に出る時の門は決まっていました。平川門と言います。この門は不浄門とも呼ばれました。死者や罪人を城の外に出す時に使用された門でした。例えば、赤穂浪士で有名な浅野内匠頭は刃傷後、この門から城の外に出されます。
この門を出て、奥女中たちはお寺に向かったわけですが、次では、彼女たちのお寺参りの様子を見ていきましょう。