2007年6月12日

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あまり知られていないことですが、江戸城には、御坊主がたくさん詰めていました。大奥にも御坊主はいましたが、何と言っても幕府役人が詰める表向、現代で言うと首相官邸・永田町ですが、ここには剃髪姿で法服を身にまとった御坊主が忙しく立ち働いていました。殿中のシーンを見ていると、お坊さんがよく行き交っています。

こうしたお坊さんは何のために、江戸城中にいたのでしょう?江戸城の裏方さんとしてのお勤めをしていたのです。

将軍の衣装を管理したり、将軍が顔を洗うのを準備する係を勤めるお坊さんもいれば、城中の雑用をこなすお坊さんもいました。御殿にあがるお殿様たちの世話をしたり、案内係を勤めるお坊さんもいます。歌舞伎にも登場する河内山宗俊は、御数寄屋坊主。御茶を出す喫茶係の御坊主でした。お坊さんは、人数は良く分かりませんが、その数は軽く百人は越したでしょう。

御坊主は、れっきとした武士でした。ただ、将軍様に使えるサムライとしては身分は低かったのですが、陰の実力者となるお坊さんもいました。

お殿様(大名)たちは江戸城の御殿に入ったら、一人で行動しなければなりません。何と言っても御殿は広く部屋も多かったので、案内係の御坊主に先導してもらわないと、迷路に入り込んでしまったような感じになってしまいます。ですから、あらかじめ、特定の御坊主に案内を頼んでおかないと、大変なことになります。何か不始末をしでかしてしまうと、御家に傷が付くのです。そのため、お殿様というより、その家来から挨拶という名の金品が届けられることになります。

また、彼らは御殿が職場なので、城中の事情には自然と詳しくなってしまいます。お殿様たちは、政界事情通の彼らと懇意になることで、シークレットな政界裏情報を手に入れることができました。その見返りとして金品を届けています。この時代にしても、情報を制する者が勝者となります。こうして、陰の実力者となり、贅沢な生活をすることができたのです。

さて、大奥の方の御坊主ですが、年齢は50才前後だったそうです。将軍の雑用掛を勤めました。その姿を見ると、頭は剃髪していて、羽織袴を着用していました。

何とも異様な姿ですが、この御坊主のみ、中奥という将軍の側近が詰める場所に入ることができました。大奥は男子禁制と言われますが、逆に言うと、大奥の女性官僚は大奥以外の場所に立ち入ることは許されませんでした。大奥以外の場所つまり中奥・表向は女人禁制だったのですが、唯一、羽織袴姿の御坊主は入れました。お坊さんの姿だったからではないでしょうか。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト