2007年5月29日

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浅草寺にも、春信が描いて人気となった評判娘がいました。浅草寺の境内に奥山と呼ばれた場所があります。見世物小屋が立てられ、大道芸人が芸を披露するなど、江戸の多様な芸能が楽しめる場所でしたが、その楊枝屋のお藤という娘を描いたところ、たいへんな人気を呼んだのです。

この時代、楊枝は歯ブラシとして使われていました。浅草寺境内は、楊枝屋が多いことで知られていましたが、各店は看板娘を揃えて、売り上げのアップをはかりました。ですが、人気絵師の春信に描かれたことで、お藤がライバルを引き離すことになります。

お藤は、いちょう娘とも呼ばれていました。その店が、大きな銀杏の木の下にあったからですが、なんと、いちょう娘のお藤と笠森お仙の二人が、明和6年(1769)4月に、浅草寺で火花を散らすことになります。時に、お仙は19才でした。

この4月から、浅草寺では本尊の観音様のご開帳がはじまりました。普段より、浅草寺の人出は格段に多くなります。それに目を付けて、ご開帳となると出店の数は多くなるのですが、当時大人気のお仙までも、浅草寺に登場したのです。お仙の店が浅草寺にも出店してきて、お仙団子を売ったのです。

笠森稲荷では、願掛けする時は土で出来た黒団子を供え、願いが成就した時は米の粉で作った白団子を供えることで知られていました。これにちなんで、団子を売ったのでしょう。

浅草寺という江戸で一、二を争う繁華な場所でお仙が団子を売れば、それだけでお仙の知名度はさらにあがります。お仙人気が高まれば、笠森稲荷の知名度もあがり、お仙見たさの参詣人も増えます。

浅草寺にしても、今大人気のお仙が来てくれれば、いやが上にも話題となり、集客力が高まると期待したでしょう。その上、二人のアイドルが同じ境内で火花を散らすとなれば、より話題となります。いちょう娘のお藤だけでなく笠森お仙も、浅草寺に大きなメリットをもたらしていたのです。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト