2007年5月22日

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谷中は現在でもお寺の多い町ですが、江戸の頃は感応寺(現在の天王寺)という巨大なお寺がありました。広大な境内は、現在は大半が谷中霊園になってしまいましたが、その感応寺の門前の一角に笠森稲荷はありました。現在、功徳林寺(台東区谷中7-6-9)というお寺がある場所にあたります。

お仙は、笠森稲荷門前の水茶屋鎰屋(かぎや)五兵衛という者の娘でした。父親の店を手伝って、お茶を出していたのですが、その美しさに目を留めたのが浮世絵師の鈴木春信です。モデルとしてスカウトされたわけです。

当時、浮世絵師は水茶屋で給仕をする女性たちを描いて、人気を博していました。描かれた女性は評判娘と呼ばれましたが、その大半はお寺の境内や門前の飲食店で給仕に出ていた女性でした。現代で言うと、看板娘のようなものでしょうが、この時代はお寺の境内に、江戸の人気アイドルが集中していたのです。

水茶屋としては、彼女たちの人気が高まれば、おのづから集客力が高まるわけですから、営業上の目論見もあって、春信の求めに応じたのでしょう。その恩恵を受けるのは、水茶屋だけでなく、お寺も同じであることは言うまでもありません。

お仙が錦絵に取り上げられたのは、明和の頃と言いますから、1760年代です。お仙がお茶を出している構図です。現代で言うと、ポスターのようなものですが、この錦絵は大ヒットし、お仙見たさに笠森稲荷に大勢が押しかけることとなります。

購買層は主に男性でしょう。江戸は独身の男性が圧倒的に多い町ですから、女性が描かれる錦絵の需要は相当ありましたが、お仙人気はその需要の大きさを証明した形でもあります。当然ながら、お仙が給仕する水茶屋の売り上げも、笠森稲荷のお賽銭の上がりも増えました。春信の懐も潤いました。

お仙は錦絵だけに登場したのではありません。絵草紙や双六、瓦版などの出版メディアにも取り上げられました。手ぬぐいの絵柄になりました。人形にもなりました。芝居のセリフにも取り上げられ、人気に拍車がかかりました。みんな、お仙ブームにあやかったわけです。こうしたお仙人気の高まりは、笠森稲荷の集客力アップに直結していくものでした。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト