2009年9月24日

「寺を開いて法を説く人」梶田真章さんインタビューの番外編です。インタビューの間、熱心にノートをとられていたyuzukiさん。同じお坊さんとして、心に響いたのはやはりお葬式や法事を問い直す梶田さんのスタンスだったようです。葬式仏教、法事の形骸化......、でも葬式や法事は私たちとお寺を結ぶ重要な接点。そこを問い直し仏教の教えへと導こうとする梶田さんを思い出すうちに、我々の話題も死生観へと発展。yuzukiさんがきわめて現代的にかみくだいた"輪廻"の説明をしてくれています。みなさんは、輪廻についてどんなイメージをお持ちですか? (インタビューはこちら:

  • 杉本:法然院さんに初めてお参りしたのはもう20年近く前ですが、それからずっと好きなお寺で。今回のインタビューは、私にとっては念願かなってというところでした。松下さんも、ずいぶん熱心にノートを取られていましたが、どのあたりが興味深かったですか?
  • yuzuki:梶田さんってたんたんと話されるのでとても穏やかに感じられますが、実はものすごく鋭い視点をお持ちじゃないですか。佇まいだけを見てボンヤリしているとその言葉の切れ味の良さにズバッと切られてしまいます。

    例えば、法事だと普通は「ご先祖様は普段みなさんのことを見守ってくださっている」とか言ってしまいがちですが、梶田さんは「ご先祖さまになっているのと、成仏しているの、どちらを選びますか?」ですよ(笑)。法事という行事の背景にある、人間の死をどう捉えるのかという本質に真っ向から切り込んでいかれてますよね。

  • そうそう。小さい頃から、亡くなった人が仏さまになるのか、ご先祖様なのかよくわからなかったんです。親には、仏さま=ご先祖さまみたいな説明をされましたが、親世代でさえいまいちピンときてないみたいでした。
  • 法事はすでに一つの習慣として成立していますから、わざわざそこで本質を追求したりしないんですよね。フランスで仏教研究をされている今枝由郎さんが『ブータン仏教から見た日本仏教』という本で、単なる習慣になってしまった日本仏教に違和感を感じた出来事について書かれていました。

    今枝さんは、浄土真宗の信仰が篤い愛知県の出身で、ご家族で毎日お経をあげるようなお家に生まれたそうです。ところが、高校生になってサンスクリット語に興味を持ちお経の意味を調べていたら、どうも納得できないことにぶつかったそうなんです。毎日信仰の篤いお父さんなら当然知っているだろうと質問してみたのですが、結局納得できる答えはもらえなかったとか。

    日本では宗教行為が単なる習慣として行われていて、その意味は問われていないということがわかるエピソードですね。最近ではキリスト教でも一年祭り、五年祭りと法事のようなことをするそうですから、日本の文化や風土に根付いた習慣を教義にないからと単純に否定できるものではありませんが。

  • そうですね。お寺が仏教を広める場であるという意味においては、先祖祭祀は関係ないとも言えます。でも、実際にはいきなり「ご先祖さまではなく浄土の仏になられますよ」と言われて納得できない方も、日本にはたくさんおられるようですし。梶田さんも「先祖になられますか、浄土の仏になられますか?」とオプションは残しておられるとおっしゃっていました。
  • でも、なんとなく雰囲気で押し通してしまがちなところに、そうでない選択肢もあるってことを提示するのは大事なことだと思います。杉本さんだったらどっちを選びますか?
  • 今は、正直言って難しいですね(笑)。自分が法事をする立場にあるなら、亡くなった人の生前の希望に沿ってあげたい。自分が死んだ後のことは、死んだ後に世話をしてくれる人の気持ちに沿いたいですねぇ。ただ、仏教を信仰するという立場を選ぶことがあれば、やはり浄土の菩薩を目指したいかな。
  • 梶田さんは選択肢として挙げられませんでしたが、ごく普通の仏教徒としては「輪廻して新しい生命に生まれ変わる」という答えもあると思うんです。浄土宗や浄土真宗だと阿弥陀さんの「他力」で救われるって言いますね。具体的なプロセスとしては、私たちが今いる世界は修行の邪魔になる誘惑や迷いのもとが多すぎる。だからドラゴンボールでいう「精神と時の部屋」みたいにすごく修行効率が良くて誰でも必ず悟りが開ける浄土に生まれ変わって、そこで修行して悟りを開こうというものなんです。とすると、なんらかの形で生まれ変わりというものを確信できるということが、阿弥陀さんに救われるための前提条件なんじゃないかって気もするんです。
  • 松下さんは、輪廻するということについて確信を得られていますか?
  • 私はあると思っていますよ。自分なりに考えたものですが。生物学者の福岡伸一さんの『生物と無生物のあいだ』という本で私たちの肉体がどう出来ているかについて驚きの内容が書かれています。食べ物は口でかみ砕いて胃で消化したあと、腸で栄養を吸収し残りのカスはおしりからウンチとして出すというのがごく一般的なイメージです。ところが福岡さんによれば、私たちが食べたものは体内のありとあらゆる場所に散らばっていって、古い細胞と入れ替わって新たに右手の一部分や脳みその一部分になったりするそうです。

    私たちは自分は一つの固定的な存在だと思っていますけど、 実はさっき食べたお昼のうどんとか、一昨日の晩ご飯に食べた焼き肉とかからできてるんですよね(笑)。私たちの体って色んなパーツからできているし、まるでレゴブロックですね。

  • レゴブロックですか?
  • あれって、バラバラにしてしまえば単なるブロックですが、組み合わせて家を造ったり自動車にしたりスターウォーズのデススターだって作れてしまいます。このパーツだとお城しか造れないということもなくて、組み合わせさえ変えればまったく別の船が造れたりするわけです。

    私たちも同じように死ねば肉体が分解されていって、ある一部分はコオロギになったり、また他の一部分は車になったり、誰かが食べるお豆腐になったりするんじゃないでしょうか。だから、こういう意味での「生まれ変わり」ならごく自然なこと、として受け入れられますね。

  • じゃあ、次の世にはコオロギに、っていう具体的なイメージではなくて、偏在する命の素材の一部になりかわっていくというイメージでしょうか?
  • ですね。仏教徒としては、永遠不滅の「魂」的なものがあるとは言えないですからね。
  • へええ。それなら現代の私たちにもイメージしやすいですね。
  • 私も仏教に出会うまではごく普通の現代人として生きてきましたので、今さら浄土という異世界がある、とは言い難いですよね。
  • うーん、なるほどなぁ。今、松下さんが「輪廻」のことを、現代的に読み解いてくださったように、「浄土」も読み解いてくださる方がいらっしゃるといいな。やはり、どんなイメージも作られた時代の影響を受けているものだと思いますし、今の時代背景に合わせてイメージしなおしてもいいのではないでしょうか?
  • そうですね。ただ、浄土といっても、そこはなんらかの世界ではありえないんじゃないでしょうか。まだ○○星には超高度文明を持つ宇宙人が住む世界があった!というほうが信じられる気がします。
  • それはどうかなぁ(笑)。
  • いや、でも「真如からやって来るもの」が如来の語源ですから、普通に宇宙人かもしれませんよ(笑)。
  • まあ、別な世界がどこかにあるっていうのは、ロマンティックですよね。梶田さんは極楽浄土をどうイメージされているのか、お尋ねしてみたいような気もします。
  • そうですね。やはり経典に書かれているような妙なる音楽が流れる清らかな空間みたいなイメージなんでしょうか。気になるところです。
  • でも、確信しておられる方の言葉というのは、すっと心に届くものですね。梶田さんのお話を聞いていると、阿弥陀さまのことが好きになってくるんです。だから、梶田さんにニコニコと極楽のお話をされたら、なんとなく「うわー、極楽いいなぁ」なんて思ってしまうかもしれません。
  • 確信というと、梶田さんがお坊さんの役割として挙げられた、「毎日同じことを語り続けられる」強さにもつながりますね。10人を目の前に話すとき、普通は全員に届くようにと話してしまいますが、梶田さんはその中の1人とか2人に届くように話されるんですよね。それをずっと続けることで、届く人を少しずつ増やしていこうとされているんだと思いますが、これって簡単にできることじゃないですよね。届かなかった人ほど声が大きいから、不満ばかりが聞こえて気持ちが萎えてしまったり。ほんと継続は力なりって思います。
  • 非常に粘り強くポジティブな考え方ですよね。ポリシーを守って、たんたんと積み重ねていくことって、本当に難しいことですよね。梶田さんを見ていると、その大切さやすごさをつくづく感じます。
  • お坊さんの話を聞き続けていくことって大切ですから、『坊主めくり』も最初の気持ちを忘れずに続けていきたいですね。
  • ほんとですね。今月でやっと10人目、まだまだ先は長いと思いますがどうかよろしくお願いします。『彼岸寺』もなが~く続けていってくださいね!
  • がんばります(笑)。

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杉本恭子
大阪生まれ。水瓶座、B型。東京で5年間を過ごし「東京は山が見えない」と学生時代を過ごした盆地・京都に戻る。大学寮で「寮を開く」という名目でカフェ・イベントを開催していた経験からお寺の動きに興味を持つ。現在は、京都をテーマにした雑誌などで取材・執筆を行うライター。ご連絡・お仕事依頼はこちらまで。 (プロフィール写真撮影:近藤宏樹)
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