
『坊主めくり』インタビューついにリアルイベントへ――5月11日、京都・100000tで開催した『坊主デイズ★ナイト vol.1』は、20代前半の若者を中心にのべ50人もの参加者を集め、熱気あふれる夜になりました。同時に『Ustream』で行っていた生中継も、最大視聴者数134人を記録し、『Twitter』からのコメントも大盛況。さらに、NHKの報道番組『首都圏ネットワーク』の取材も入るなど、なんだかもうてんやわんやの大騒ぎでした。参加者のみなさん、そして100000tのみなさん、本当にありがとうございました。
さて、記念すべき第一回のゲストは、いつもお世話になっている彼岸寺の松下弓月さん。「出家の理由」や「なぜ仏教を選んだのか」など、気鋭の若手僧侶として活躍の場を広げている弓月さんのバックボーンに迫るお話を聞かせていただきました(今回は、いつもの『坊主めくり』をお休みして、『坊主デイズ★ナイト』インタビューを掲載いたします)。
社会からの逃避のために修行生活へ
――松下さんのお寺ってどんなお寺なんですか?

- 坊主デイズ★ナイト vol.1 @京都100000tのようす
神奈川県平塚市にありまして。平塚はもともと東海道の宿場町で、私のお寺は宿場の中心となる本陣の菩提寺でした。大名が東海道を旅する時に泊まる宿にもなっていたようで記録も残されています。
――小さいときから、お経を読んだり小坊主さんの修行はされていたんですか?
2~3歳の頃に、マルコメくんのようなかっこうで撮った写真が残っていますが、その後はほとんど何も。自分の部屋から10メートルくらいのところにお寺の本堂があって、土日になれば法事をしていたりするのに、物心ついてから大学院時代に修行に行くまで、仏教に触れていた記憶がないんですね。仏教に対して心を閉ざしていたのかな。なるべく髪を長く伸ばしたりしていましたし。お寺を継いでほしいと言われたこともなければ、継ぐつもりもありませんでしたね。できれば文学の研究者になりたいと思っていました。
――じゃあ、改めて仏教に出会ったのはいつだったんですか?
大学院を休学して、修行に行くことになってからですね。仏教を学ぼうと思ったわけではなく、それまでの生活をいったん全部やめて社会から逃避しようと(笑)。たまたま家がお寺だったのでお寺の修行に行きましたが、もし神社や教会に生まれていたら行き先は違っていたと思います。
――教会だったら修道院に入っていたかもしれない?
そうですね。大学がキリスト教系で聖書も読んでいましたし、修行で仏教史の講義では「ちょっと待て、原典にないことを書いていいのか」「お釈迦さまは言ってないんだろう?」などと疑問に思ったり。もともとのお経は、お釈迦さまの入滅後に「お釈迦さまはこういうことを言ってたよね」と確かめあっていたものが、何百年か経って文字に残されたものです。でも、その後の大乗仏教の経典は「私はこのように聴きました」と前文をつけて、後は自分の思う仏教みたいなのを書いているので、キリスト教系世界観から見ると「ちょっとこれはおかしいんじゃないかなぁ」と思うことはありましたね。
仏教に向かわせた「生きづらさ」とは?
――修行のなかで出会った仏教を「自分のもの」として体得したのはいつ頃だったんですか?

- 会場にお客さんがギッシリ。NHKのカメラも回っていました。
私の仏教との出会いは二段階あるんです。最初は修行に行った24歳のとき。一年間、東寺の中で掃除したりお経を読んだりしていると、それまで感じていた生きづらさや苦しさがすごく楽になったんです。いろんな疑問は浮かんでくるにしても、そこにいると生きやすいな、生きることに対する抵抗力が減ったなと体感して「これはいいな」と思いました。
でも、本当に仏教が自分にとって大切なものになったのは修行後です。大学院に戻って修士論文を書いていると「やっぱり社会で生きるのはダメだな」と実感しました(笑)。文系大学院の修士なんて、かなり社会の隅の方にいる存在だと思うんです。でも、自分にとっては社会の内側にいるということがつらい。なるべく社会の外にいるにはどうしたらいいのかと考えて、いろんな仏教書を読むなかで南直哉さんの本に出会って。「この人が仏教に向かっていった姿勢は共感できるな」と思えました。南さんが仏教によって、抱えていた生きづらさから解放されていった道の歩みが見えてきたとき、「これは自分にも効くものじゃないか」と思えて、だんだんまじめに勉強するようになりました。
――修行後に明確になった生きることの苦しさってなんだったんですか?
中学生の頃に『エヴァンゲリオン』を見て、その関連書籍から東浩紀さんの本を読み出したのですが、すると「うわ、私がつらかったのはこのポストモダンというもののせいなのか」みたいな(笑)。つまり、自分が生きること、この社会があるということに対しては、根拠がないんだということですよね。
生きなくてはいけない理由がないということがすごくつらくて。別に学校も行きたいわけじゃないけど、社会で生きていくには行かなければいけない。このつらさを乗り切るために、最初は文学をやってみたんです。文学を読んでいると「世界には意味があるんだ」いう物語が提示されるからそのときは楽になります。でも、読み終わるとまた同じ。一時的に、対症療法的にごまかしても「生きる根拠はない」というつらさは消えないわけです。
仏教は「苦しみの源泉を断つ」教え
――松下さんの苦しみにうまく働きかけた仏教の教えや考え方って何だったのでしょう?
自分の心の闇を調べようとして中に入っていくと、闇に引きずり込まれていく感覚があったんです。まさにニーチェが言う「深淵を覗こうとすると、深淵も覗き返しているんだ」みたいな話です。仏教は、つらいのであればそれを止めるために、自分をどんどん分解して、観察して、つらさの源泉を掘り当てていくところがあると思うんですよ。
また、自分の抱えている苦しみが自分だけのものではないと知れたこともありがたかったですね。南直哉さんのように死の淵ギリギリから立ち上がって、生きる強さを取り戻したような人は、仏教以外のところで見たことがなかったんです。文学の作家、特に私が研究していたW・フォークナーなどは、生きるつらさをむしろエネルギーに変えて、創作に向かっていくようなところもあって。
お坊さんの出家にはいろんな動機があると思いますが、私の場合は「このまま行けば生きていることだけはできそうだ」と思えたことがスタート地点でした。自分自身の生命をどうするかということのために仏教を必要としたんですね。
人を救うことが自分を救うことにつながる
――ご自身を救うためにお坊さんになられるというのは、どちらかというと「自利」の部分ですよね。いま「利他」の部分についてはどう考えていらっしゃるんですか?

- ふる本・CD・レコード『100000t』作成のポスターもかなり話題に。
私は「どうしてお坊さんは人を救うのか」という根拠をしっかり考えないといけないなと思っています。「社会に求められているからお寺を開いて社会活動をする」とか「江戸時代のお寺は寺子屋などがあって人がたくさん来ていたから」などと言われることがありますが、根拠はそこにはないと思うんです。お坊さんやお寺が活動するのであれば、仏教や信仰が一番最初に来なければいけないはずです。
また、自分自身を救おうとして自分だけにかまけていると、負のスパイラルが始まって苦しくなりますから、結局は外に出て行くことによってしか自分の問題も解決されないと思うんですよ。だから、いろんな人とコミュニケーションをとるなかで、救いの方向へ持っていくことができれば、自分自身も同時に救われるんだというのが実感としてあって。それは、自分が何かの活動をする動機のひとつになり得るのではないかと思います。
――いろんな人と会うのはお好きなんですか? 「坊主めくり」取材にもなるべく同行してくださいますし。
基本的にコミュニケーションは嫌いです(笑)。もともと、誰かと約束しても、直前になると「行くのをやめようか」と考えて葛藤するほど、人に会うのは好きじゃなかったんですね。でも、行かないと後で「行かなかった自分」を嫌悪して落ち込んだり(笑)。だから、あまり考えずに人に会ってコミュニケーションするようにしています。たとえば「坊主めくり」なら、二人で「次はこの人にお願いしよう」って相談するじゃないですか? 行かないでいて、後悔するくらいなら行ったほうが気分がすっきりしますから。やらない後悔よりやる後悔、みたいな(笑)。それに、人に会って話していると、エネルギーをもらえたりするのか元気になるんですよね。
仏教を軸に共感できるお坊さんのネットワークを
――いま、彼岸寺をはじめ、年齢や宗派もさまざまなお坊さんがユニークな活動をされていますよね。松下さんは、そういった方々とのネットワークを今後どう活かしいこうと思っていますか?

- 松下さんが京都に来るたび訪れる『100000t』店主カヂくん。
お寺のご住職は、なかなかお寺を留守にすることができませんから、同じような気持ちを持っている人たちと交流したり、一緒に活動することが難しいです。また、やりたいことはあるけど、仲間が見つからない、具体的な活動の方法がわからないという人もたくさんいると思います。
自分なりの問題意識の下に活動する人たちをつなげていくことで、各エリアでネットワークや動きが盛り上がれば、同じ思いを持つ人に出会うきっかけが増えていくはずです。すでに活動している人に出会うことで、また新しく何かを始める人も出てくるかもしれません。そんな風に、ネットワークをつないで、点を線に、そして線を面にしたい。仏教を大切にして、それを実践する人たちとのつながりや動きを大きくしていきたいと思っていますね。別に「仏教界を変える」ことをしたいわけじゃないんです。
――旧来の仏教界を批判するわけではなく、共感できる人たちとつながって新しい動きを作りたいと。
今の時代は、批判しようと思えば、上から下から、右から左から、いくらでもできますから。そんなことをしても何にもならないし、いいところを見つけてつなげていけばいいんじゃないかと思います。仏教界は閉鎖的だと批判されたりしますが、やはり明治時代以来ずっと非常に困難な状況に置かれてきた仏教というものを、その時代にできうる限りの力で守り支えてきたのだと思います。
まだ今は、お寺はたくさんあるしお坊さんも数はたくさんいる。お坊さんを育成する機関もあります。その状況を活かして、多少ねじれたり曲がった部分を戻していくエネルギーに変えていけばいいんじゃないかと、私は最近思っています。
ゲスト☆プロフィール
松下弓月/まつした・ゆづき

- (写真:入交佐妃)
1980年神奈川県生まれ。僧侶(東寺真言宗/福生山宝善院副住職)国際基督教大
学(ICU)卒、青山学院大学大学院博士前期課程修了(文学修士)。東寺伝法学
院にて加行・潅頂。インターネット寺院『彼岸寺』をベースに、現代に生きる仏
教徒として幅広く活動中。
好きなもの:湘南ベルマーレ、映画、物語全般、Mac、iPhone、小沢健二、 Perfume、相対性理論、瞑想
TwitterID:
yuzuki_m
ブログ: Buddhistlife.net
http://buddhistlife.net/
※ この『彼岸寺』を運営しているyuzukiさん=松下弓月さんです。
ふる本・レコード・CD 100000t
京都の音楽好き&本好きが集まるエリア、寺町御池上ルの京都市役所裏に2009年開店した『100000t(じゅうまんとん)』は、誰が訪れてもなぜか欲しいものがひとつは見つかってしまうという魔法の棚のある不思議なお店です。そして、加地くん&ビトーくんという、人生の斜め上あたりを歩いていく二人の店主の人柄のせいか、開店わずか一年にして京都内外にファンもどんどん増加中。松下さんが本山に来られたときに案内したら、すっかり気に入ってしまわれたようで、今でも京都に来ると必ず立ち寄られています。
今回の『坊主デイズ★ナイト』は、そんな『100000t』とのささやかな関係性から生まれたイベントです。イベント前のチラシづくり&配布、当日はアンケートの配布・回収から、会場の設営・片付けまで、スタッフ&常連のみなさんに手厚くフォローしていただきました。この場で改めてお礼を伝えたいと思います。ありがとうございました!
みなさんも、京都に来られることがあったら、一度『100000t』に立ちよってみてください。知ればクセにならずにはいられない『100000t』の雰囲気を、ぜひ味わってみてください。
100000tブログ http://100000t.blog24.fc2.com/