
- 應典院の"本堂"にて
映画プロデューサーとして、時代の最先端に立っていた秋田さんがお寺に帰って来て直面したのは、旧態依然とした仏教界。あまりにも違う世界のなかに、どうやって自分のポジションを見つけていくか、秋田さんはもがき苦しむ時期を過ごされます。お坊さんとしての自分に出会い、「お寺とは何か、僧侶とは何か」と深く鋭くえぐるように問い続けていく秋田さんが見いだした「仏教界でのインディペンデントなポジション」とは――? 應典院代表、秋田光彦さんインタビュー第2回です(第1回はこちら)。
すべてをそぎ落として仏と向き合えた瞬間
――自分と仏教界のズレやかみ合わなさは、どう解消していかれたんですか。
非常にオーソドックスですが加行(けぎょう)体験です。浄土宗の修行なんて、他宗派に比べればわりとインスタントなんですが、一切の俗なるものを介入させない環境で、ひたすら念仏と五体投地を繰り返すうちに、いわゆる倍音体験をするんです。自分たちの唱える念仏の声を追いかけるように、澄み切った声が降り注いできてね。
映画では「ブッ殺してやるーッ!」とかやっていたわけですよ。大阪に戻ってからは、俗なるものが取り囲んでしまった仏教に対してズレを感じてきて。ところが、削り取って削り取って最後に残った自分という存在と、仏教を取り囲む一切の俗なるものをそぎ落としたところに現れる仏という存在が対峙したときに、自分が初めて「信」なる関係に置かれたことに気づいて。もう、涙が出るくらいに感動したんです。
それで、真剣にお坊さんをやろうと思った。当時はまだ、應典院なんて構想は何もないです。ただ、真剣にお坊さんをやろうと決意しました。
――それで、加行後に『教化センター21の会』などの活動を始められたんですね。
そうです。浄土宗の有志と『教化センター21の会』を立ち上げて、葬儀や後継者など現代仏教の問題を取り上げた『現代教化ファイル』などの出版活動を始めたり、『仏教サウンド考現学』や『宗教メディア進化論』などのイベントを開いて。僕は、30代前半の頃、京都新聞では「宗教メディアプロデューサー」なんて紹介されたんですよ(笑)。「都市と宗教」をキーワードに、新宗教の人たちともどんどん付き合い始めて。社会を読むことも、メディアも好きなので、現場で勉強しながら「自分がやっていくのはこういうところなんだな」と立ち位置を見いだしていきました。
仏教界でのインディペンデントな立ち位置を
――当時、一緒に動いていたのはやはり同じ30代の僧侶の方々ですか?

- 應典院本堂のご本尊・阿弥陀如来像
お察しいただけるかと思いますが、僕のポジションはちょっと異色すぎて。育ちも違えば言葉も違うし、つきあっている人も全然違う。やはり多くの僧侶は、宗門の大学を出てそのまま地元の仏教青年会に入って、いわば純粋培養で育っていく。本人はそんなつもりはなくても、外から見ると明らかに宗派や教団のヒエラルキーの下部構造を支えている。そのなかにいたら相対的なものの見方もできなくなる。30代は、仏教界のなかにどうやってインディペンデントな立ち位置を確立するかで悪戦苦闘していました。
たまたま、宗門の上の世代の人たちに、僕の言うことややることが面白いから面倒を見てやろうとか、もがいている僕を上手に受け入れるクッションの役目になってくださった人がいた。それを見て、みんなが「何かわけわかんないけどやるらしいよ」とついてきてくれたという感じかな。20代の映画時代もそうでしたが、「君の言うことはわからない。でも、君たちのやっていることには何か可能性があるから」とポンとお金を貸してくれた人もいる。当時はまだ、大人がリスクを負って若い人を育てようという気概があったんだと思います。
――そういう経験もあって、若いお坊さんの活動が各宗派で押さえ付けられることをご心配されているんですか?
意識はしていませんが、そういうものは僕の体質のひとつになっているんじゃないですかね。たとえば、『彼岸寺』の活動もまた、教団の持つマスな力からはみ出していく力ですよね。それを吸収していく幅や深みはあるのか、あるいはある境界を超えたところで「異安心(異端)」として排除していくのかは紙一重です。でも、教団の囲いのなかから育まれて、そこに列座するだけでは面白くないですよね。宗教なるものを背負っているということは、何かの秩序・規範からはみ出しつつ、またどこかで調和されていくということじゃないかと思いますし。
反規範・反秩序となると、それはオウム真理教になってしまうので、そういうものを照射する別な力を放ちながら、僕たちの生き方や思想をもっとクリエイティブにしていくというか。違うものの見方、他者と出会うと僕は元気になりますよ。なりませんか?
――なりますね。
僕はね、「ヘンなやつ」って言われるのがいちばんうれしいんですよ。「変わったやつやなー」と言われて、たびたび元気になったし。應典院はヘンな人と出会うためにやっているようなもんです(笑)。ヘンな人と付き合いながら、僕はかろうじて呼吸を続けることができたというか。
生き方を模索する、規定の生き方に対して何かを反転させる力を持つことは、どの時代においてもすごく勇気のいることだと思うんですね。僕もその一人であって、僕がなぜもがき続けられたかというと、仲間たちとそれを支えてくれる少数の大人がいたからです。大人は社会の象徴です。でも、たとえ1000人に一人でもいいから、「間違ってない、がんばっていけよ」と若者言える大人がいるかどうかで、社会の創造力は変わってくると思うんですね。
社会の創造力を育てる存在に
――今は、秋田さんが「少数の大人」の立場で、僧侶だけでなく應典院に集まる人たちに「間違ってないよ」と。

- 應典院入口すぐのスペース。若者たちの息づかいが感じられる
そうですね。若い人の生き方に関わると言えばすごくかっこいいけど、どこかですごく重い課題を彼らと一緒に抱えながら......。何もしてあげられないですけど、ただ「この場所に来たらいいよ」とね。家庭では息苦しい、学校には居場所がない、会社にはなじまない。どこにも行き場のない彼・彼女らが、たまる場所としての寺を目指してくる。その寺が、彼らの表現や創造のために開かれていることが大事なんです。表現というのは、「最大の気づき」だと思っていますし、その場に阿弥陀さまがいらっしゃる、窓の外には無数のお墓が見えるということが重要なのではないかと思うんですよ。
――應典院の再建プロジェクトが始めったのは30代の後半ごろからですよね。
はい。30代後半から40代にかけてです。ちょうどオウム真理教の話題がピークの頃で。同じ宗教というカテゴリーの中で起きた事件としてとらえると、これまで以上に我々の在りようや立ち方を考えさせられました。應典院再建プロジェクトが立ちあがったのも同じ頃で、「寺とは何か、仏教とは何か」を考えなさいと、父は僕にこのプロジェクトを任せてくれたんです。
特に、これだけ効率を目指して、市場化していく社会のなかで、本当の意味での公益性を保ちながら、寺がこの都心に在りつづけることができるのはまさに奇跡のようですね。いつだって、ここに駐車場や葬儀会館を作ることができるけれど、そうしないでいるにはこの場所に何を埋め込んでいくのかという、強烈な「信」がなければいけないと思います。應典院は、僕にとって「ここになくてはならない」というひとつの存在証明なんですよ。
應典院は、僕自身の二つの出発点を通過して再建されています。第一の出発点は、映画で敗北したことですよね。第二の出発点は、オウム真理教事件と同じく95年に起きた阪神淡路大震災を見てしまったことです。そこで初めて「ああ、そうだ。劇場だ。NPO型の寺なんだ」という着想を得ました。
関係性を編集するメディア=應典院
――震災で死者を前に悲しむ人たちと対面することで。
本当に恥ずかしながら、40歳の手前にして人間の生死(しょうじ)なるものに出会ったという感じですね。それまでの僕は、役割や役職、制度とか、自分が位置づけられたもののなかにいて、自分の感性や思考が後付けになっていたと思うんです。寺の人間は、宗派、お寺、教区など、すべて属性で語られていますしね。
でも、震災の被災者の人は誰ひとり「あなたは何宗のお坊さんですか?」とは聞かない。「あなたはお坊さんでしょ?」と、そういう風に聞かれたのは初めてだったんですね。「私は浄土宗ですけどいいんでしょうか?」「そんなん関係ない、何でもええからお経読んでくれ」って言われてね。
ああ、そうか。僕らはもともとの出発点はソロなんや、と。でも、それは勝手にやってていいというわけではないんですよ。ソロでやるという強烈な自覚をひとつの磁力にしながら、どういうコミュニティを形成していくのか。ミッションあるいは「信」なるものが核にあり、それを具現する単独者=ソリストがいて、その人が持つ響きに応答する関係をどう多様に作っていくのか。それを震災の現場のNPO活動から学んだんです。だから、僕は「編集者」という言葉を使っています。非常に能力のある編集者であろうと(来週につづく)。
プロフィール
秋田光彦/あきた みつひこ
1955年大阪市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業。現在は大蓮寺住職・應典院代表、パドマ幼稚園園長。情報誌『ぴあ』にて自主映画の登竜門『ぴあフィルムフェスティバル』事務局を経て、石井聰亙監督と『ダイナマイトプロ』を創設、最若手プロデューサー兼脚本家として『狂い咲きサンダーロード』『爆裂都市』を送り出し、日本映画界にインディーズ旋風を巻き起こす。30代で加行、浄土宗教師として『教化情報センター21の会』の事務局長として、数々の宗教イベント・メディアのプロデュースを手がける。97年、大蓮寺塔頭・應典院を、NPOを若いアーティストの拠点として再建。共著に『生命と自己』『つながりのデザイン』など。
浄土宗 大蓮寺 塔頭 應典院
http://www.outenin.com/
1614年、大蓮寺三世誓誉在慶の隠棲所として創建。1997年に再建される際、一般的な仏事ではなく、かつてお寺が持っていた地域の教育文化の振興に関する活動に特化した寺院として計画。「気づき」「学び」「遊び」をコンセプトとした地域ネットワーク型寺院として生まれ変わった。音響・照明施設を備えた円形型ホール仕様の本堂をはじめ、セミナールームや展示空間を備えており、演劇活動や講演会など様々活動に用いられるほか、一般に開放された交流広場(玄関ロビー)には芝居や講演会のチラシが置かれ、文化情報の発信および人々の交流の場として機能している。また、『應典院寺町倶楽部』の拠点施設として、コモンズフェスタや寺子屋トークの舞台にもなっている。
應典院でのイベント
應典院では、年間40本を超える演劇公演、さまざまな規模のワークショップや講演会など、多種多様なイベントが行われています。ふと気になるイベントが見つかったとき、気持ちの赴くままに一度訪ねてみることをおすすめしたいと思います。そして應典院という場所が「なぜ寺であるのか」という意味が見つけられたら、それはとても面白い体験になると思います。きっと、これから先に訪れるお寺のすべての見え方がガラリと変わってしまうはずです。
お寺MEETING:開放系Vol.1 「ネット世代は、寺院を変えるか。」
ネット世代の僧侶をゲストにUstreamを用い、「関係性」を問う!
應典院で、お坊さん座談会が開催されます。ゲストには、彼岸寺の松下弓月さん、『坊主めくり』にもご登場いただいた今城良瑞さん、そしてモデレーターは秋田光彦さん。「ネットによって寺院、そして僧侶たちと社会の関係はどのように変化するのか」を、世代も活動テーマも違う3人のお坊さんが語り合う、スリリングなセッションです。当日参加できない方は、『Ustream』での中継のほうでぜひご覧ください!
日時:2010年6月15日(火)19時~21時
会場:應典院 研修室B
主催:浄土宗大蓮寺・應典院
対象:どなたでも
参加費:500円
申込み:40名・先着順(http://uemachi.cotocoto.jp/event/40518)
当日はダダ漏れ坊主「http://www.ustream.tv/channel/ddmrbouzu」にて中継を行う予定です。
<ゲスト>
松下 弓月さん(真言宗僧侶・インターネット寺院「彼岸寺」運営)
http://www.higan.net/blog/bouzu/cat459/yuzuki_01/
今城 良瑞さん(真言宗僧侶・NPO法人HAPPY FORCE理事長)
http://www.higan.net/blog/bouzu/activity/cat406/imashiro_1/
http://www.higan.net/blog/bouzu/activity/cat406/imashiro_2/
<モデレーター>
秋田光彦さん(大蓮寺住職・應典院代表)
寺子屋サロン Circolo(毎週木曜日 18:30~)
2010年4月から『應典院寺町倶楽部』が始めた新企画『Circolo』は、「木曜日18:30に應典院研修室Bに行けば必ず誰かがいる」という企画です。読書会、勉強会など内容は週によってさまざまです。参加費500円。
いのちと出会う会(毎月第3木曜日 18:30~、1/8/12月は休会)
生きること、老いること、病すること、そして死――いつか来る「人生の店じまい」を見据えて、じっくりと話し合う。『いのちと出会う会』は2000年6月からスタートした、市民の集いです。人間の「いのち」にかかわる様々な課題、医療や看護、ターミナルケア(終末介護)やホスピス(看取り)、悲嘆の癒し(グリーフケア)などを取り上げています。満ちたりた時代に生きているのに、いのちの輝きが見えにくい、生きる力が湧きあがらない。そんな実感を持つ人は一度参加してみてはいかがでしょうか? 参加費1000円。
http://www.outenin.com/otc/projects/inochi.html