最近、ニューヨークでは風邪がはやっており、昨日は熱っぽくなってきて、これはいけないと思い、風邪薬を飲んで一日寝ておくことにしました。そのためコラムも一日抜けました。
まあ、そのかいあってか、今日はすっきり元気な感じです。今週は締め切りが多くなるのはあらかじめわかっていましたので、なるべく予定を入れないようにしていましたので、ゆっくり休めました。
お寺の会報も終え、来週の会議の報告書も終え、少々気を抜いてしまったため、風邪をひきかけたのかも知れません。
昨日のEメールに、来週の火曜日の夜7時からユニオンスクェア・パークでチベットの若者がインターフェイス祈念式を行うので来てほしいというのがありました。残念ながら、火曜日にはカリフォルニアに出張することになっていますので参加できないと返事をしました。2月25日がチベットの新年(ロサル)にあたり、その前日にチベット人の人権擁護と世界平和を願い集会をチベットの若者がオーガナイズしたのです。
昨年の夏、セント・パウロ&アンドリュー教会で、中国政府により殺された多くのチベット人のためのインターフェイス祈念式典が行われました。3千人ぐらいの人々が集い、私も仏教連盟代表として祈念を行い、スピーカーにはリチャードギアさんなども来ていました。中国を憎んではならない、慈悲の心で対処することを強調し、その上でデモンストレーションが行われました。
昨年の3月の平和的なデモを行う僧侶たちに対して中国警察の暴力行使を行ったことにより、抗議行動が様々な場所で起こることとなり、多くのチベット人死傷者を出したのは記憶に新しいことだと思います。
今の日本は仏教国とは言えない物質主義の国になってしまいましたが、チベットはまさに仏教国で、生活の様々な部分が仏教の価値観にあふれていると思います。非暴力、慈悲の実践ということはまさにお釈迦さま以来仏教が大切にしてきた伝統です。
心の豊かさを説いてきた仏教の伝統を守り続け、仏、菩薩を敬い、観音菩薩の化身としてダライラマという宗教的、政治的指導者を持つチベットという国を支援していくべきだと思います。
チベット人の人たちと多くの交流を持つようになったのは、ニューヨークに来てからですが、最初、チベット人たちの集まりに行って思ったことは、「今日は日本人もたくさんきているんだ」でした。そして、日本語でしゃべりかけてみると、何とみんなチベット人だったのです。
中国人や韓国人の集まる会にも何度も出席したことがありましたが、そのときは日本人のような感じはするが、何か違う感じもするなあ,という感じで、思わず日本語でしゃべってしまったということはありませんでした。人種的にもチベット人は日本人に似ているということを肌で感じた瞬間でした。
チベット仏教は日本では真言宗に近い仏教で、いわゆる密教です。いずれにせよ、私個人としは、仏教が生きているチベットを応援したいです。
最近、非暴力を実践する仏教国が暴力によって被害を被っているように思われます。チベットもそうですし、スリランカやビルマなど同じ仏教徒として何かもっと援助ができないのかと思います。
日本も欧米と肩を並べることも大切かも知れませんが、アジアの諸国で起こっている紛争などを平和的に解決するようにもっと貢献していくべきだと思います。自分の利益ばかりを考えるのもいいですが、苦しんでいるものを救おうという姿勢が日本には欠けているように思われます。
「自分さえよければいい」では情けない。仏教的に言えば、自利だけではさとりの完成にはならない、ということです。苦しんでいるものを救ってこそ、あるいは利他を実践してこそ、さとりの完成があるのですね。
政治・宗教を日本人はきらう傾向があるようですが、アメリカでは逆で、政治・宗教の話しになると、会話が突然活発になるようです。
政治・宗教とは価値観の問題です。私は仏教の持っている価値観、世界観を大切にしたいと思います。
—TK拝