2009年2月13日

 毎週水曜日の夜、7時から8時半までメディテーションのクラスを開いています。また、月曜から金曜まで毎日、朝の6時半からも朝のメディテーションを行います。内容的には、呼吸をととのえ、心を呼吸に集中していき、結跏趺坐で座る。読経、念仏、仏典からの言葉を中心にしたディスカッション、または説法をします。

IMG_1552.jpg アメリカ人にとって、仏教といえば「メディテーション」をイメージするのです。日本のように、仏教という言葉を聞いて、葬式を思い浮かべる人はアメリカ人の中にはまずないと言ってもいいでしょう。

 例えば、お寺にどんな電話がかかってくるかを考えてみてもその違いが顕著に表れます。日本人から電話がかかってくる場合の、大部分が法事、水子供養、先祖供養、葬式の相談で「死」に関わることです。もちろん中には仏教のことが知りたい、日曜のお参りについて知りたい。メディテーションに参加したい、日本文化のクラスについて知りたい、というのもあります。

 アメリカ人からの電話で多いのは日本人のそれとは反対で、メディテーションのクラスはあるか、仏教に興味があるが、どんなクラス・お参りがあるのか、というような教えや行事に関する質問が一番多いのです。その次に、日本文化に関することで、日本語を教えているか、武道のクラスはあるか、というようなものです。儀式に関しては少ないのですが、その中で言えば、一番多いのは、仏教で結婚式をしたい、というものです。葬式の電話もかかることがありますが、非常に少ないのです。

 アメリカ、特にニューヨークに来て有難いと思うことは、葬式仏教といった暗いイメージではなく、宗教としての仏教、古い歴史をもつ西洋には新しい宗教であり、仏教がとてもポジティブなイメージに捉えられていることです。日系人社会には葬式というイメージがありますが、一般アメリカ人社会ではそれがほとんどないのです。

 この20年の間にあってもアメリカにおける仏教に対する理解もだいぶん変わりました。私が来た当時は仏教に関する英語の本を買おうと思うなら、東洋の物を扱っている一部の書店に行かねばなりませんでした。それが今では、どこの書店でも仏教書があります。それも15年ぐらいは棚の一段ぐらいが仏教書でしたが、今は棚の全部が仏教書で埋まるくらいになっています。

 映画で言えば、私が来た当初でも、仏教がアメリカのメジャーな映画になることはあり得なかったのですが、「リトル・ブッダ」という映画以来、「セブン・イヤーズ・イン・チベット」や「クンドゥン」など仏教、特にチベット仏教のメジャー映画が作られ、今でもそれは続いています。

 禅宗が1960年代から鈴木大拙、アラン・ワットなどにより、少しポピュラーになりましたが、またそれからベトナム僧のテクナット・ハンにより、コミュニティ・オブ・マインドフルネスが知られるようになり、黒人層を中心に広まった創価学会も頑張っていますし、そして今はダライラマ法王の影響で、チベット仏教が一番ポピュラーになっていると言えます。私の属する浄土真宗はアメリカではほとんど知られていないと言っていいしょう。もちろん日系人社会の中では知られていますが、普通のアメリカ人は知らないです。

 まだまだアメリカの仏教の歴史は始まったばかりで、どう展開して行くのかわかりませんが、見守っていきたいと思います。そろそろ念仏がポピュラーになってもいい頃かも知れません!

—TK拝

2009年2月22日

 最近、ニューヨークでは風邪がはやっており、昨日は熱っぽくなってきて、これはいけないと思い、風邪薬を飲んで一日寝ておくことにしました。そのためコラムも一日抜けました。

 まあ、そのかいあってか、今日はすっきり元気な感じです。今週は締め切りが多くなるのはあらかじめわかっていましたので、なるべく予定を入れないようにしていましたので、ゆっくり休めました。

 お寺の会報も終え、来週の会議の報告書も終え、少々気を抜いてしまったため、風邪をひきかけたのかも知れません。

 昨日のEメールに、来週の火曜日の夜7時からユニオンスクェア・パークでチベットの若者がインターフェイス祈念式を行うので来てほしいというのがありました。残念ながら、火曜日にはカリフォルニアに出張することになっていますので参加できないと返事をしました。2月25日がチベットの新年(ロサル)にあたり、その前日にチベット人の人権擁護と世界平和を願い集会をチベットの若者がオーガナイズしたのです。

 昨年の夏、セント・パウロ&アンドリュー教会で、中国政府により殺された多くのチベット人のためのインターフェイス祈念式典が行われました。3千人ぐらいの人々が集い、私も仏教連盟代表として祈念を行い、スピーカーにはリチャードギアさんなども来ていました。中国を憎んではならない、慈悲の心で対処することを強調し、その上でデモンストレーションが行われました。

 昨年の3月の平和的なデモを行う僧侶たちに対して中国警察の暴力行使を行ったことにより、抗議行動が様々な場所で起こることとなり、多くのチベット人死傷者を出したのは記憶に新しいことだと思います。

 今の日本は仏教国とは言えない物質主義の国になってしまいましたが、チベットはまさに仏教国で、生活の様々な部分が仏教の価値観にあふれていると思います。非暴力、慈悲の実践ということはまさにお釈迦さま以来仏教が大切にしてきた伝統です。

 心の豊かさを説いてきた仏教の伝統を守り続け、仏、菩薩を敬い、観音菩薩の化身としてダライラマという宗教的、政治的指導者を持つチベットという国を支援していくべきだと思います。

 チベット人の人たちと多くの交流を持つようになったのは、ニューヨークに来てからですが、最初、チベット人たちの集まりに行って思ったことは、「今日は日本人もたくさんきているんだ」でした。そして、日本語でしゃべりかけてみると、何とみんなチベット人だったのです。

 中国人や韓国人の集まる会にも何度も出席したことがありましたが、そのときは日本人のような感じはするが、何か違う感じもするなあ,という感じで、思わず日本語でしゃべってしまったということはありませんでした。人種的にもチベット人は日本人に似ているということを肌で感じた瞬間でした。

 チベット仏教は日本では真言宗に近い仏教で、いわゆる密教です。いずれにせよ、私個人としは、仏教が生きているチベットを応援したいです。

 最近、非暴力を実践する仏教国が暴力によって被害を被っているように思われます。チベットもそうですし、スリランカやビルマなど同じ仏教徒として何かもっと援助ができないのかと思います。

 日本も欧米と肩を並べることも大切かも知れませんが、アジアの諸国で起こっている紛争などを平和的に解決するようにもっと貢献していくべきだと思います。自分の利益ばかりを考えるのもいいですが、苦しんでいるものを救おうという姿勢が日本には欠けているように思われます。

 「自分さえよければいい」では情けない。仏教的に言えば、自利だけではさとりの完成にはならない、ということです。苦しんでいるものを救ってこそ、あるいは利他を実践してこそ、さとりの完成があるのですね。

 政治・宗教を日本人はきらう傾向があるようですが、アメリカでは逆で、政治・宗教の話しになると、会話が突然活発になるようです。

 政治・宗教とは価値観の問題です。私は仏教の持っている価値観、世界観を大切にしたいと思います。

—TK拝

2009年3月26日

 昨日の話題に日本の憲法改正についての話しがでました。今日は少し日本の平和憲法について話しておきます。

 日本での議論は現在の憲法はアメリカによって作らされたということ、特に自衛隊、軍隊の必要性、さらには核兵器開発にまでその論議が及ぶのでしょう。

 何故、今の日本憲法が日本人に受け入れられたのか、ということを忘れているように思われるのです。日本は昔から、和の国、大和というように平和を大切にしてきた民族であったのです。

 すなわち、平和憲法は日本人の本来もっている心にマッチしたからこそ受け入れられたのです。ただ無理矢理押し付けられただけはなかったということです。

 今、その憲法が問題になってきているのは、日本人が西洋化したこと、自分の思想を亡くし,何でも西洋、特にアメリカの言いなりになってきたためでしょう。キリスト教、イスラム教といった一神教の歴史は、戦争を肯定し続けて来た宗教です。

 正義のための戦争、神のための戦争、神の名の下に多くの殺戮を繰りかえしてきた歴史は今さら言うに及びません。それに比べると仏教が引き金となって起こった戦争は皆無といってよいほど微々たるものです。

 世界の中で、非暴力をもって国を治めた指導者を持つものは、仏教の思想に影響されたものばかりです。最も古いところで、仏教の精神をもってインドを治めたアショーカ王、チベット国王のソン・ツェン・ガンポー王、日本の聖徳太子はそれぞれの国で敬われ続けているリーダーなのです。

 最近では、インドのガンジー老、そのガンジー老に影響をうけたアメリカのキング牧師、さらにチベットのダライラマ法王などはがいますが、もとを辿ればお釈迦さまの非暴力、不殺生、慈悲の教えから来ているのです。

 非暴力、不殺生、慈悲、和というものを大切してきた日本の歴史を無視して、憲法改正を語るべきではないのです。武力、暴力をもって世の中を治める時代が明治、大正、昭和の初期であったと思います。その中で、時代を先取りしているのが今の日本の平和憲法だと思います。まさに平成(平和を成し遂げる)時代が迎えられたのもこの平和憲法あればこそだと思うのです。

 ただ先取りするだけではなく、日本人の本来もっている大和(大いなる和)の精神が平和憲法にあることを知らねばなりません。実際、仏教の和の精神は間接的ではありますが、キリスト教の指導者たちにも受け入れられ新たな時代を作ってきたのです。黒人人権運動のキング牧師、南アフリカのツツ大司教などはそのいい例です。

 日本の平和憲法は、戦争で傷つけあう世界情勢の中にあって、暴力ではない解決法を提示するという、ある意味で、これからの世界の憲法になり得る普遍性を持っているのです。

 私の好きな言葉に、源信僧都のお母さんが作られたという詩があります。
「後の世を渡す橋とぞ思いしに 世渡る僧となるぞ悲しき」

 あなたは、これからの世界を開いていく架け橋となると思っていましたが、世の中に迎合してうまく渡り歩く僧侶になってしまったとは悲しいことです、という内容になります。

 これは源信僧都が世に認められるようになって、その時に下賜された褒美の品を母に送った時に、その母が源信を戒める和歌を送り返されたものです。その後、源信僧都は名利を捨てて、仏道に励み、往生要集という有名な書物を書かれました。

 日本もただ世間をうまく付き合うだけでなく、「後の世を渡す橋」ような、世界を平和に導くような真の国際的リーダーとなっていってもらいたいと願っています。日本には諸外国にないいいものが沢山あるのです。持ち駒を大切にしてもらいたいのです。

 そろそろ聖徳太子の精神、あるいは仏教の精神に還る時期ではないかと思います。物で栄えて、心で滅びかけている日本人に今一度,和の心を取り戻す良い機会が与えられているのかもしれません。

ーTK拝

米国ニューヨーク、マンハッタンのアッパーウェスト地区にニューヨーク本願寺があることをご存じですか?浄土真宗本願寺派からアメリカに派遣されて20年、ニューヨーク本願寺・住職の中垣顕實さんは、9.11同時多発テロ現地で経験。現在、ハドソン川での追悼灯篭流し法要など、平和を訴えるユニークな活動を展開中です。そんな中垣さんが、マンハッタンのお寺から日々の思いをつづります。
中垣顕實
1961年3月11日、大阪生まれ。B型。1985年に渡米、その後、シアトル別院勤務を経て、現在、浄土真宗本願寺派ニューヨーク別院住職。米国を代表する仏教者の一人として、その活動が注目されている。前ニューヨーク仏教連盟会長。著書に『ニューヨーク坊主、インドを歩く』(現代書館)
→ニューヨーク本願寺HP
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