昨日の話題に日本の憲法改正についての話しがでました。今日は少し日本の平和憲法について話しておきます。
日本での議論は現在の憲法はアメリカによって作らされたということ、特に自衛隊、軍隊の必要性、さらには核兵器開発にまでその論議が及ぶのでしょう。
何故、今の日本憲法が日本人に受け入れられたのか、ということを忘れているように思われるのです。日本は昔から、和の国、大和というように平和を大切にしてきた民族であったのです。
すなわち、平和憲法は日本人の本来もっている心にマッチしたからこそ受け入れられたのです。ただ無理矢理押し付けられただけはなかったということです。
今、その憲法が問題になってきているのは、日本人が西洋化したこと、自分の思想を亡くし,何でも西洋、特にアメリカの言いなりになってきたためでしょう。キリスト教、イスラム教といった一神教の歴史は、戦争を肯定し続けて来た宗教です。
正義のための戦争、神のための戦争、神の名の下に多くの殺戮を繰りかえしてきた歴史は今さら言うに及びません。それに比べると仏教が引き金となって起こった戦争は皆無といってよいほど微々たるものです。
世界の中で、非暴力をもって国を治めた指導者を持つものは、仏教の思想に影響されたものばかりです。最も古いところで、仏教の精神をもってインドを治めたアショーカ王、チベット国王のソン・ツェン・ガンポー王、日本の聖徳太子はそれぞれの国で敬われ続けているリーダーなのです。
最近では、インドのガンジー老、そのガンジー老に影響をうけたアメリカのキング牧師、さらにチベットのダライラマ法王などはがいますが、もとを辿ればお釈迦さまの非暴力、不殺生、慈悲の教えから来ているのです。
非暴力、不殺生、慈悲、和というものを大切してきた日本の歴史を無視して、憲法改正を語るべきではないのです。武力、暴力をもって世の中を治める時代が明治、大正、昭和の初期であったと思います。その中で、時代を先取りしているのが今の日本の平和憲法だと思います。まさに平成(平和を成し遂げる)時代が迎えられたのもこの平和憲法あればこそだと思うのです。
ただ先取りするだけではなく、日本人の本来もっている大和(大いなる和)の精神が平和憲法にあることを知らねばなりません。実際、仏教の和の精神は間接的ではありますが、キリスト教の指導者たちにも受け入れられ新たな時代を作ってきたのです。黒人人権運動のキング牧師、南アフリカのツツ大司教などはそのいい例です。
日本の平和憲法は、戦争で傷つけあう世界情勢の中にあって、暴力ではない解決法を提示するという、ある意味で、これからの世界の憲法になり得る普遍性を持っているのです。
私の好きな言葉に、源信僧都のお母さんが作られたという詩があります。
「後の世を渡す橋とぞ思いしに 世渡る僧となるぞ悲しき」
あなたは、これからの世界を開いていく架け橋となると思っていましたが、世の中に迎合してうまく渡り歩く僧侶になってしまったとは悲しいことです、という内容になります。
これは源信僧都が世に認められるようになって、その時に下賜された褒美の品を母に送った時に、その母が源信を戒める和歌を送り返されたものです。その後、源信僧都は名利を捨てて、仏道に励み、往生要集という有名な書物を書かれました。
日本もただ世間をうまく付き合うだけでなく、「後の世を渡す橋」ような、世界を平和に導くような真の国際的リーダーとなっていってもらいたいと願っています。日本には諸外国にないいいものが沢山あるのです。持ち駒を大切にしてもらいたいのです。
そろそろ聖徳太子の精神、あるいは仏教の精神に還る時期ではないかと思います。物で栄えて、心で滅びかけている日本人に今一度,和の心を取り戻す良い機会が与えられているのかもしれません。
ーTK拝