2010年1月14日

 いつの間にか、新年も始まり出したという感じです。昨年1月9日にこのブログを書き始め、一年間の約束で書き続けました。

 切りのいいところで一旦やめようと思います。これまでのブログをまとめて、以前の『ニューヨーク坊主、インドを歩く』でもお世話になった現代書館さんから一冊の本として出版する予定です。その時は是非ともご協力を!

 一年間読んで頂いた方に心より御礼を申し上げます。

 新しい情報などはお寺のウェブサイト(英語)の方で見て下さい。お寺のメンバーのブライアンさんが毎月一度更新しています。それでは、2010年が皆様にとって実り多き年であることを念じます。ご自愛下さい。

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私の今年前半のハイライトとしては:

1)日本語の講座を行います。仏教の基本的なことをお話ししますので、あまり仏教のことを知らない人にはお勧めです。これはニューヨーク本願寺で行います。

*『平家物語』と仏教:1月18日(月)、2月22日(月)、3月15日(月)午後いずいれも7時〜9時。

*『十七条憲法』(聖徳太子)と仏教:4月5日(月)、5月3日(月)、6月7日(月)。いずいれも午後7時〜9時。

2)2月27日(土)28日(日)にカリフォルニア州のサンノゼで米国仏教団主催の親鸞聖人750回忌記念法要があり、それに参加します。その際、今年で私は米国仏教団勤続25年になり、27日の晩餐会で表彰されることになっています。時の経つのは早いです。

3)今年の6月23日(水)に福岡市の空襲後の戦没者追悼法要があり、それの講師として日本に行きます。音楽家の原田真二さんもいっしょに出演することになっています。福岡県の宗像市の宗像ユリックスという場所で午後1時〜5時です。できればこの時の本のサイン会などもできればいいのですが、そのあたりはまだ未定です。どなたでも参加して頂けると聞いていますので、是非来て下さい。

またのご縁に! --TK拝

2010年1月 2日

 新年、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。昨年は一年間、ブログをお読み頂きありがとうございました。

 年末に書きかけていたものを載せておきます。

 毎年お寺では年末に餅つきをおこなっています。碓と杵を使いますが、少し機械が入りますので、全くの手作りとはいきませんが、ほぼ手作りに近いものです。昔の餅屋さんの機械で、杵が自動的に上下に動きます。音は工事現場でドン•ドン•ドンと杭を打ち込むような感じですので、その下に手を入れるのが最初は怖いのです。

 前の日に餅米を水に浸けておき、朝一番に搗き始めます。機械の杵で搗きますが、蒸した餅米を碓にいれ、うまく搗けるように手と杓文字を使って、餅米を真ん中に寄せてやるようにするのです。コントロールするのは人間ですので、そのあたりは少々テクニックを要します。

 コツは杵を怖がらず、友だちのようにして付き合うことです。慌てずゆったりと構えて作ればいいのです。案外やりだすと楽しいものです。400ポンドですので、だいたい180kgの餅米を使います。一日がかりのプロダクションです。

 これをしないと終わった感じがしません。言い換えれば、餅つきをすると終わりを迎える気分になります。それでは、よいお年をお迎え下さい。
ーTK拝


2009年12月20日

もう今年も残すところ2週間ほどになってしまいました。今日の午後から明日の朝まで雪が降るという予報ですが、そろそろ降り始めてきました。マンハッタンでは今年初めての雪になります。

こういう日は家にじっとしているに限ります。そこで、今日はホリデイ•カードや年賀状を書くことにしました。今年もいろいろな人との出遇いがありました。ご無沙汰をしている人もたくさんいます。カードを書きながら、様々な思いが頭に浮かびます。

来週はお寺のお餅つき、年末の大掃除が待っています。そして、12月31日(金)は午後7時から除夜の鐘をつきます。今年の残りの時間を大切にして過ごしたいものです。

雪のニューヨークもまたいいものです。
--TK拝

2009年12月13日

年末はパーティが様々なところで催されます。ニューヨークは忙しい人が多く、もっと頻繁に会って、話したいと思っていても、限られた時間と空間の中に生きていますので制限があります。年末のパーティなどのいいところは、しばらく顔を合わせていなかった人に会えることです。もちろん食事を楽しむということもあるでしょうが、人との出会いが一番大切なところであろうと思っています。

ライオンズ•クラブのパーティの方は先週の金曜日でしたが、ちょうど私がサンフランシスコの方に出張していた日と重なり出席できませんでした。今週の総領事館主催の天皇誕生日のパーティには出席しました。大使邸で毎年催される会ですが、中にはこのときにしか会わない人もいらっしゃいます。ニューヨークでいろいろな分野で活躍しているような人たち、長年ニューヨークの日系コミュニティで活躍している人たち、領事館で働いている人たちなどと交流は楽しいものです。

今日の夜は、JAJAのパーティに初めて出席しました。ジャパニーズ(J)•アメリカン(A)とジャパニーズ(J)•イン•アメリカ(A)の省略でジャジャとなります。このパーティには多くの若い日本人、日系人が参加しており、エネルギーが漂っていました。また領事館でのパーティとは全く違う感じなのが面白いところです。

来週も日系人会のペーティや米日財団のペーティなどもありますが、それぞれ違った層の人たちが集まります。その他にも日系人ではなく妻の関係の方でのパーティは所謂アメリカ人ばかりのペーティで、私には未だに苦手なところがあります。やはり私の知っている人が少なく、共通の話題を見つけるのが難しいということもその原因であろうと思います。そこではいっしょに歌を歌ったりするのですが、それは結構楽しめます。もちろん私も頑張ってこの時ばかりは歌います。

このようにパーティのことばかり書くと遊んでばっかりのように思われるかもしれませんが、ここにいればパーティは大切な社交場なのです。もちろん楽しんでいないというと嘘になりますが••• --TK拝

2009年12月 5日

 先日、ハワイから、中村ローズさんと金沢しめじさんがお寺を訪ねてこられまひた。金沢さんは104才になるとにこやかに言っておられましたが、彼女たちは20年前にハワイでプロジェクト•ダーナを創立したお二人なのです。

 お寺を訪れたいということは一週間ほど前に連絡がありましたので、せっかく来られるならば、平日お昼間で多くの人は働いている時間ではありますが、来れる人だけでも集まって頂ければと思いお寺の人にも呼びかけることにしました。7人が集まり、一時間ほど時間を頂き、プフロジェクト•ダーナの歴史、目的、内容などを話して頂きました。

 ダーナというのはサンスクリット語で仏教の布施行にあたります。意味は、施す、与えるという意味で、具体的にはものを与える財施、教えを与える法施、恐れを与えない無畏施というものがあります。与える行為によって人々に幸せを与えることです。

プロジェクト•ダーナはその布施の精神に基づいて、ボランティアとして老人を訪ね、介護なども行うサービスを施すものです。もとは一人っきりでいるお寺のメンバーに声をかけ、年をとって運転できなくてお寺に来れなくなった人たちをバスで迎えにいって、お寺に連れてきてあげるところから始まったものです。それが今では仏教たけでなく、様々な宗教を超えて、ハワイの全土に広まった老人のための活動になっているのです。

近年は「人を思いやる」という気持ちのうすれる中、このプロジェクト•ダーナのもつ意味は大きいものだと思いました。20年間も続ける秘訣のようなものはありますか、と聞いた時、お年寄りと「友だちになる」という気持ちこそが大切だと答えられました。

人を思いやるというのは、具体的にはお友だちになるということなのですね。機能的、構造的なこともいろいろあるのでしょうが、友だちなろうとする心こそが大切なものだと言われたところに、布施の精神が生きていることを感じました。

プロジェクト•ダーナがハワイだけでなく、さまざまな国でも実践され、思いやりの輪が広がっていくことを念じます。

--TK拝

2009年11月28日

アメリカでは感謝祭の週末で、もともとは収穫を喜び、感謝するところから宗教的な行事として17世紀ごろに始まったと言われますが、今では多くの親戚や友人が集まる食事会というイメージの方が大きいかもしれません。七面鳥を焼いて、スタフィング、クランベリーソース、カボチャのパイといった伝統的な料理で感謝祭をお祝いします。アメリカでは毎年11月の第4週目の木曜日に感謝祭を行います。

お寺の行事としては、午後1時にお参りをして、午後2時から持ち寄りで感謝祭を祝うようにしています。ニューヨークでは独身の人も多いし、家族の方へは帰らない人もいますので、そういう人を対象に15年前に始めました。10人〜15人程度の小さな集まりですが、ゆったりとできて、楽しい雰囲気です。IMG_2504_2.jpg

感謝祭の前日の夜は、マンハッタンのアッパーウエストにある聖職者たちが中心になって毎年、インターフェイス(諸宗教)による感謝祭を行います。今年はセント•パウロ&セント•アンドリュー教会で行われました。私は黙想と読経を行いました。

何もかにも当たり前になり、感謝をすることを忘れがちな生活をしている現代人(私も含めて)にとっては大切な一日ではないかと思います。感謝を実践する日と考えるといいだろうと思うのです。もちろん日々感謝のうちに生活できれば、それにこしたことはありません。

自分にとって親しい人、好きなもの、都合のいいものに感謝するのは易しいのですが、自分が嫌だと思う人、きらいなもの、都合の悪いものに感謝することは難しいものです。この日だけは、自分も含めて、すべてのものに感謝してみると仏道修行につながるものがあるようです。すべてのものに手を合わす日が私流の感謝祭です。

--TK拝

2009年11月18日

11月に入るとたいていは少しゆっくりになるのですが、先週はお葬式が2件入り、一つはニューヨークから1時間半ほどのロングアイランド、そしてもう一つは2時間半ほど離れているシーブルックでした。一人は91才、もう一人は102才で往生されました。

長生きで、二人とも亡くなる少し前まで、元気になさっていました。同じお葬式でもしっかり頂いた命を生きられた人のお葬式は、もちろん愛する人と別れることはつらいことですが、何かそこにその人の人生を祝うようなところがあります。

長生きと言えば、浄土真宗の開祖の親鸞聖人も同じです。同時、人生50年と言われるような時代に、90才(満89才)まで生きられたことはギネスブック並みのことではないかと思います。

一日一日を大事に生きることが長生きにつながるのであろうと思っていますし、長生きできなくとも、一日一日を大事に生きた人生はそれだけで価値があるものだと思います。

「い(生)けらば念仏の功つもり、し(死)なば浄土へまいりなん。とてもかくても此の身には、思いわずらう事ぞなきと思いぬれば、死生ともにわずらいなし」という法然聖人の言葉が思い出されました。法然聖人は80才で往生されました。

お釈迦さまも80才で入滅なさっていますので、長生きです。当然のことなのですが、一時一時の積み重ねが一日となり、一日一日の積み重ねが一年となり、一年一年の積み重ねが一生となっていくのです。

このブログを書いていて思うことは、一つ一つのブログが積み重なって、多量の文章になっていくことを感じます。最初から数えると、字数にして、14万字ぐらいになっています。

まさに、継続こそ力なり、です。

ーTK拝

2009年11月10日

先週からインターネットを使った討論が始まり、「宗教」という言葉の理解の仕方についての自分の定義とそれについての意見交換が交わされました。

宗教という言葉は何を意味するのか、学者によってその定義は変わってきます。西洋でレリジョンと言ったときには、神と再び関係を持つ、回復するということになりますが、仏教などは創造主の神という概念とは全く違った観点を持ちますので、それでは当てはまらないことになります。

宗教という言葉自体、もともと西洋のレリジョンという言葉をどうやって日本語にするかということで考えられた言葉ですから、その言葉の中に、東洋的な心が反映しているように思われます。

神との関係というところからではなく、自分が「宗」とするところの「教え」ということですので、自分の価値観、人生観、生活観というものを宗教といったことになります。

ある意味で「人生をどう生きるか」ということを考えることが宗教の本質に当たることになります。人生をどう生きるかを考える時に、死の意味、生の意味、死後の世界、生前の世界、人間の力を超えたところの世界などがどうしても問題になってくるものでありましょう。

宗教を持つというと、日本では何か変なものに入信してしまった、というように捉えられるようですが、本来、人生を深く考え、そこに出てきた答えが宗教と名付けられるものなのでしょう。

「私は宗教など持たない」という人は、「私は自分の人生を深く考えたことがない」と言っているのと同じことになるのはないかと思います。ある意味で日本人の宗教は「お金がすべて」という感じになっているようにも思われます。価値観をお金でしか計れないないならば、こう言われても仕方ないのです。

宗教をもつということは、自分の価値観、人生観、信念をもって生きているということです。私の中の宗教の定義は、宗教は人生の問いに対する様々な答えにあたるものである、と考えます。だから、様々な宗教があるのだと思うのです。

あなたなら、どのように「宗教」という言葉を定義されますか。

--TK拝

2009年11月 1日

昨日は久しぶりにゆっくりと眠ることができました。毎日学校から帰っては次の日の授業の本や資料を読んだり、宿題をしたりで睡眠時間が足りませんでした。朝の9時から夜の9時まで、毎日、授業があったのです。

15年ぶりに大学の授業を受けましたが、以前私が大学に通っていた時とは、授業のやり方など相当違いました。15年前はまだEメールなどはほとんどの人がやっていませんでしたし、授業も黒板やホワイトボードを使っていました。今回の授業は各自がポータブル•コンピューターを持参せねばなりませんでした。授業もスクリーンを使いプロジェクターで映像を映し、授業がなされ、黒板などは一切使いませんでした。

図書館の使い方、リサーチの方法なども、以前のように図書館でいろいろ調べるというのではなく、すべてコンピューターで行うようになっていました。図書館に行かなくとも、ほとんど家でほとんど調べることができるようになっているのですね。ここまで来ると化石人間のような気がしました。

クラスメートは14人でした。そのうち、10人がキリスト教のプロテスタントで、2人がイスラム教、1人が無宗教、そして私が仏教一人でした。中にはアフリカのガーナから来ている牧師さんもいました。始まったばかりですが、皆さまざまな経歴を持っていて、ディスカッションはとても面白いものでした。

次に大学に行くのは2月ですが、その間は、インターネットによる授業、宿題などがあります。 今回、一番時間を使ったのはコンピユーターをどのように使うかということでした。インターネットが使えるかが、自宅勉強のキーであるからでしょう。

さて、これから3年頑張ります! --TK拝

2009年10月22日

先週はニューヨークは突然寒くなり、秋を通り越して冬になったような感じでしたが、今週は暖かく秋らしい日になりました。

マンハッタンから1時間ほど北に上った場所にリンゴのピッキングに行きましたが、気持ちのよい日でした。山の方では紅葉も始まっていました。たまには骨休みも必要ですね。自然に触れると心もすっきりします。IMG_2482.jpg


来週から、ニューヨーク神学校でインテンシブな授業(Doctor of Ministry)を取ることになっていますので、今週はそれに向けていろいろな準備に追われています。大学に戻るのは15年ぶりで、何となく変な感じもしますが、楽しみにもしています。

宗教間の対話などのインターフェイスについて専門的に勉強してみようと思い立ち、大学に戻ることにしたのです。とは言っても一年に3週間授業に出るだけであとはリサーチなどを行うものですので、お寺の空いている時間を使って勉学できるのです。

9•11や原爆法要などインターフェイスの行事もオーガナイズしたり、インターフェイス•センターやイターフェイス•アライアンスなどの理事もしていますので、もう少し学問的にこの分野について深く、広く学ぶいい機会だと思って大学院に行くことにしたのです。3975857668_6ae3bda010_b.jpg

結構、前もって準備をせねばならないことも多いのですが、お寺の会報を仕上げたり、年忌法要を勤めたり、お葬式が入ったりでなかなか手が回らないのが現状です。何とか時間を見つけなければ!

次は11月に入ってからブログを再開します。--TK拝

米国ニューヨーク、マンハッタンのアッパーウェスト地区にニューヨーク本願寺があることをご存じですか?浄土真宗本願寺派からアメリカに派遣されて20年、ニューヨーク本願寺・住職の中垣顕實さんは、9.11同時多発テロ現地で経験。現在、ハドソン川での追悼灯篭流し法要など、平和を訴えるユニークな活動を展開中です。そんな中垣さんが、マンハッタンのお寺から日々の思いをつづります。
中垣顕實
1961年3月11日、大阪生まれ。B型。1985年に渡米、その後、シアトル別院勤務を経て、現在、浄土真宗本願寺派ニューヨーク別院住職。米国を代表する仏教者の一人として、その活動が注目されている。前ニューヨーク仏教連盟会長。著書に『ニューヨーク坊主、インドを歩く』(現代書館)
→ニューヨーク本願寺HP