禅と念仏〜直感と圏外と〜(星覚さんへ)

禅と念仏〜直感と圏外と〜(星覚さんへ)


星覚さん、こんにちは。


先日は東京でお会いできて嬉しかったです。短い時間でしたが今回も色々と学びのある時間でした。ここ数年はお会いする度に少しお痩せになられている(絞ってきてるなぁ!という感じです)お姿をお見受けしますが、ご精進の現れでしょうね。次回の帰国も楽しみにしております。


ずいぶんと遅くなりましたが、久しぶりに往復書簡、お返事させて頂きます。


何話してましたっけ?という感じもしますが、そうそう。直感について・圏外について、この辺り思うところを少し書いてみます。



直感を働かせることはたしかに難しいのかもしれませんね。私はあまり直感をあてにしておらず、理屈で動くことの方が実際には多い気がします。靖朗さんは普段「直感がはたらいた」と思うことはありますか?



何が直感か?ということもありますが、僕もたいがい理屈で動く人間です。何となくそうかなと直感で思っていても、色々と気になって調べ事したり、および腰になってる自分がいます。だいたい頭で考え出したら、行動が鈍くなってくる、そんなパターンですね。あまり考えないで行動したほうが結果的にうまくいってくるという場合もあります。その逆も多いですが。


しかしまあ、アイデアは既存のアイデアの組み合わせという名言もあるぐらい、たくさんの情報や体験をインプットしておくことが直感(アイデア)を生む源泉になると思いますね。ですから、なるべく時間をつくって一日一冊は本を読むようにしています。新聞も複数紙ながめて思考や情報の偏りをなくそうとしています。


それとは逆に、そういう情報をシャットアウトして、ひたすらアウトプットする時間も作るようにしています。こうしてブログを書いたりすることもそうですし、お説教に出向いたり(原稿を1ヶ月ぐらいかけてつくります)、ご依頼いただいた誌面原稿の執筆をしたり、普段はめったに行かない飲み会的な場所に顔を出したり。


そして、インプットもアウトプットもしない時間も大切ですね。ひらすらお勤めして、ひたすら掃除して。気づいたら数日ネットを見なかったなんていうこともあります。最近は息子と寺社めぐりをする時間も増えてきました。そういう過ごし方をもっと増やしていきたいですが、まあこれはなかなか難しい話ですね。後のテーマでもありますが、圏外になりたい!と思うのもこういう時間をもっと作りたいからというのがその理由です。


インプット・アウトプットいずれの場合でも、情報量に緩急つけることで、「あ!そういうことか!」というひらめきが出てくることが多いです。この往復書簡も、お堂の掃除をしながらぼんやり考えていたこと、ベルリンにいる星覚さんとどうしたらもっと交流できるかな〜と思案してひらめいた企画です。


靖朗さんは世俗の仕組みから「圏外」になりたいと思うのですか?もしそうだとしたらそれはなぜですか?いわゆる「先進国」に住む多くの人はお金を稼ぐ行為に参加することを「当たり前の行動規範」としているように感じます。みなが好きでやっているなら勿論いいのですが「がんじがらめの制度社会」と表現されるように喜んでやっているようにはみえません。そういったところにこそ、私達の社会を和やかに、しかし大きく変化させるきっかけがあるのではないでしょうか。



ここはいろいろ思うところがありますね。まず圏外になりたいと思う理由は、修行者としての欲なのかもしれません。少し変な言い方ですが、修行道場での生活は圏外を体験できる時間です。いまは住職としての生活がありますからなかなかまとまった期間、道場に入るということができませんから、余計にそういう時間のありがたさを感じます。


けど、よくよく考えてみると道場生活っていうのは本当の修行ではないんですよね。修行道場の門を出てから、娑婆の苦しみに己が身をおいてそこから本当の修行が始まるわけです。だから僕が圏外になりたいというのはただの逃げ、なのかもしれません。きっとそうだな。


蓮の華は泥に咲くと仏教ではよくいわれる言葉ですが、泥にまみれてなんぼですね。
もっというと、苦しむ人々が美しく咲く蓮の華になれるように、己は泥になれ!と。



「お金を稼ぐ行為に参加することが当たり前の行動規範」たしかにその傾向はありますね。資本主義社会であり、消費経済社会です。お金を稼ぐ行為は決して悪いことだとは思いません。お金のやりとりを通じて何らかの付加価値が生まれていると思いますし、お金で解決できることも数多くあります。いずれにせよ行き過ぎるとダメですね。がんじがらめになって抜け出せないという状態であるならば、それは行き過ぎということでしょう。


では、僕たちのような僧侶が、この世を生きる人、苦しみを抱える人に提示できるオルタナティブはなんでしょう。


答えはいろいろあると思いますが、僕はずばり、死をどれだけ自分事に考えてもらえるか?ということだと考えます。そしてその問題を解決するために仏教がある。現代社会、がんじがらめの制度社会で死のリアリティが薄れています。死が見えにくい時代に死を説くのがお坊さんの役目であると思うのです。


「お金残すな念仏残せ」 http://www.higan.net/bizplan/2015/01/eitaikuyou.html
以前アップされていた記事が大変印象に残っています。アーティストやお坊さんはまさにそれを実践してきた人達だと思います。例えば「毎朝早起きして一心に念仏を唱え、社会全体を配慮して誠実に働き、いつでも誰かの悩みに応える準備をして早く寝る(けれども日本銀行券はいらない)」という人が増えたらどうなるでしょう。



この記事も色々と思うところがあって書きました。ぶっちゃけてお話すると(笑)念仏を残すことで、篤信者が増え、お布施が回り出すんだから、まずなによりも念仏を残すんだということなんです。念仏を伝えていくために必要な念仏道場という寺院装置の維持にお金が必要です。また頂いた浄財をご縁のある人々とともに社会福祉活動に回していくということにも活用できるわけです。だから日本銀行券はいらないということではないんですね。



まあ我々がごちゃごちゃいわなくとも日本銀行券など国が発行する紙幣ではなくビットコインのような発行主体のないマネーが登場する時代です。次から次へと新しい苦しみが生まれてくる世の中ですねぇ。



今日はこのへんで。そろそろベルリンかな?


松島靖朗拝 合掌 南無阿弥陀佛




これまでのやりとりはこちらからご覧ください。


うたごえ(靖朗さんへ) http://www.higan.net/unsui/2015/04/post-75.html


禅と念仏〜直感について〜(星覚さんへ)http://www.higan.net/bizplan/2015/04/zen-nenbutsu-inspiration.html


共棲(靖朗さんへ)http://www.higan.net/unsui/2015/03/post-70.html


禅と念仏〜南無阿弥陀佛〜(星覚さんへ)http://www.higan.net/bizplan/2015/02/20150226-zen-nenbutsu.html.html


救(靖朗さんへ)http://www.higan.net/unsui/2015/02/post-68.html


「禅と念仏」星覚さんへ http://www.higan.net/bizplan/2015/02/20150214-zen-nenbutsu.html


つながり(靖朗師へ)http://www.higan.net/unsui/2015/01/post-67.html


松島靖朗 (まつしま せいろう)
>>プロフィールを読む 浄土宗法性山専求院安養寺副住職。1975年生まれ。早稲田大学商学部卒業後、9年間のITビジネスマン生活を経て奈良県にある実家のお寺に戻り浄土宗僧侶として修行の日々を送る。旅行・登山・サーフィン・温泉・美味しい物が好きで毎朝読経のあとの日経新聞が欠かせません。